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こんにちは。
今回もまた視聴者の方から提案していただいたトピックを取り上げたいと思います。
今日のトピックは、ハイコンテクスト文化とローコンテスト文化です。
皆さん、この概念、聞いたことありますか?
これはですね、アメリカのエドワード・T・ホールという文化人類学者が、1976年に提唱した概念です。
今から約50年ほど前の話ですね。彼は世界中のコミュニケーションスタイルを、ハイコンテクスト文化とローコンテスト文化という2つに分類しました。
ハイコンテクスト文化、ローコンテスト文化とは一体何なのか。
知ってる方もいらっしゃるかもしれませんが、まずはその用語の説明をします。
まずコンテクストとは、文脈や背景という意味ですよね。
コミュニケーションを取る際に、どれだけその背景の情報や文脈が重要かということです。
ハイコンテクスト文化では、言葉だけではなくて身振りや表情、声のトーン、その時の状況や両者の関係性などなど、言葉以外の非言語的な情報に強く依存します。
非言語的な情報がとても重要です。
なので、聞き手は言葉の背景にある、その言葉にはされていない情報も含めて、相手の意図、相手が伝えようとしていることを理解する必要があります。
それがハイコンテクスト文化のコミュニケーション。
一方でローコンテスト文化では、言葉に頼るコミュニケーションが中心です。
伝えたい情報は言葉で、具体的かつ直接的に、ストレートに伝えられて、さっき言ったような表情とか、
声のトーンとか、お互いの関係性とか、そういった非言語的な情報には依存しません。
言葉で明確に具体的に伝えます。
言葉で明確に伝えなければ、もうそれは伝わっていないも同然。
もう伝わっていないのと同じことです。
はい、ハイコンテクストとローコンテストの違い、分かったでしょうか?
ここで少し注意しておきたいのは、このハイコンテクスト文化とローコンテスト文化っていう概念は、
エドワード・T・ホールさんが50年前に提唱したものだとさっき言ったんですけど、この理論自体は実証はされていないんですね。
ホールさんの著書、邦題は『文化を越えて』っていうタイトルなんですが、この本は学術的な論文というよりも、エッセイのような内容だったそうで、
なので、論文のようにね、この理論を裏付けるような具体的な研究や実験が十分に行われたというわけではないんだそうです。
なので、これは実証されたものではないという批判の声もあるらしいです。
ただ、実証されていないとはいえ、文化の違い、コミュニケーションスタイルの違いを考える上では、
すごく参考になるものとして、広く受け入れられているようです。
はい。じゃあ、ちょっとまた話を戻しますね。
さっきのハイコンテクスト文化とローコンテスト文化の違いの説明を聞いて、皆さん、
日本のコミュニケーションスタイルはどちらに当てはまるか、もう分かりますよね。
はい、日本は完全なるハイコンテクスト文化です。
その本を書いたホールさんも、日本語はハイコンテクスト文化の極端な例だという風に述べています。
日本以外で言うと、韓国、中国、インドなどのアジア諸国、それからアラブ諸国などもハイコンテクスト文化の代表的な例として挙げられています。
逆に、アメリカ、カナダ、ドイツ、その他西ヨーロッパの国々などは、ローコンテスト文化に分類されています。
このサイトの利用者さんは、今の時点ではおそらくローコンテスト文化とされている国の出身の方が大部分です。
今、皆さんは、皆さんの中の多くの方は、自分の生まれ育った文化とは全く異なるコミュニケーションスタイルを持つ言語を学んでるわけですよね。
もしかしたら皆さんの中には、日本語を学んでいく中で、そのコミュニケーションスタイルの違いに
戸惑ったり困ったりした経験がある方もいらっしゃるかもしれないですね。
じゃあ、日本はなぜハイコンテクストなのか、その背景について少しお話しします。
日本という国は、歴史的に見ると長い間、基本的には同じ言語、同じ文化、そして同じ価値観を持つ人々によって成り立ってきました。
異なる背景を持つ多様な人々が一緒に暮らしてきた、共存してきた、例えばアメリカなどとは違って、
日本はみんなが同じ価値観を共有してるっていう前提で成り立ってきました。
だからこそ日本では、敢えて言葉に出さなくても、いわゆる「空気を読む」みたいなハイコンテクストなコミュニケーションが成立するんですね。
日本語には、実はそれを象徴するような言葉がたくさんあります。
皆さんも思い浮かぶものがいくつかあるかもしれません。
まずはさっき出てきた「空気を読む」という言葉。
これは、言葉で言われなくても、周囲の状況や雰囲気に基づいて行動するっていうことですよね。
空気が読めないと「KY」って言われたりします。
KYって今も使うのかな?
もしかしたらちょっともう死語かもしれません。
古い言葉かもしれませんけど。
はい、空気を読む。空気を読めない人はKYって言ったりします。
それから「以心伝心」という言葉もあります。
これは言葉にしなくても、心と心で通じ合うという意味です。
あとは「察する」。
はっきり言葉で言われなくても、相手の意図、相手の意味していることを理解する。
それから「忖度」という言葉、これも数年前にちょっと流行った言葉なんですけど、
はっきりと言葉で「お願いしますって」頼まれたわけじゃないんだけど、
なんとなく雰囲気から相手の希望していることを推測して、相手に対して特別な配慮をする。
それを「忖度する」って言ったりします。
あとは「暗黙の了解」。
これは口に出して「これでいいよね」ってお互い了承したわけじゃないんだけど、
言葉にはしてないけれども、お互いの中で納得している、了承しているという意味です。
暗黙の了解。
あとはこんな言葉もあります。
「言わぬが花」。
これは、はっきりと口に出して言わない方がいいという意味です。
だから日本では古くから、はっきりと言葉にしないということが、ある意味美しい、美徳とされてきたんですね。
はい。
もうちょっと具体的に会話の例を紹介します。
例えば、同僚と話をしていて、「この後暇?」って聞かれたとします。
ま、聞いた人は多分この後どっか一緒に行きたいんでしょうね。
暇だったらご飯食べに行こうとか、映画見に行こうとか誘いたいんでしょうね。
でももし例えばその聞かれた人、「この後暇?」って聞かれた側の人は断りたいとします。
ま、理由は分かりませんけど、もう疲れたから帰りたいのかもしれないし、何か用事があるのかもしれないし、
この同僚のことが実はあんまり好きじゃないのかもしれないし、理由は分かりませんが、断りたいとします。
そういう場面で日本人は「あ、この後はちょっと...」って曖昧に答えることがとても多いです。
はっきりと断らずに、この「ちょっと...」の部分で、相手に今日は無理ということを察してもらおうとするんですね。
そして大抵の場合、相手はちゃんと察してくれます。
あ、無理なんだって察して、もうそれ以上は何も言いません。
「なんで?何か用事あるの?」とか聞きません。
もう、察します。
ま、よっぽど親しい間柄だったら別ですけどね。
あと、これは我が家の例なんですけど、うち家事をね、夫婦で分担してるんですけど、日用品を買い足すのは夫の担当なんですよ。
これもさっき出てきた暗黙の了解でそうなってるんですけど、特にそういう風にしようって話し合って決めたわけじゃないけど、
暗黙の了解で、日用品、洗剤とかトイレットペーパーとかがなくなったら、夫が注文するって決まってます。
暗黙の了解でそういうことになってます。
で、例えば私がね、皿洗いをしてて、もうすぐ洗剤がなくなりそうなことに気づいたとします。
そしたら私はよく、ま、無意識ですけど、無意識に「あ、洗剤もうなくなりそう」とだけ言います。
「なくなりそうだから買っといて」っていうのが、おそらく私が本当は伝えたい内容なんですけど、「買っといて」の部分までは言いません。
「なくなりそう」だけ言って、その後は夫に察してもらいます。
わざわざ「買っといて」まで言葉にして伝えなくても、なくなりそうという状況、それから普段から暗黙の了解で、
日用品は夫が買うことになっているっていう我が家の背景から、買っといてって意味だなってことは伝わるじゃないですか。
そういうコミュニケーションがよくあります。
ま、夫婦だから余計にそうかもしれないですけど、でも友達同士であっても、職場であっても、そういったやり取りは日常的にあると思います。
ただ、最近の日本では、コミュニケーションのスタイルが少しずつ変化している部分もあるみたいです。
特に若い世代の中には、ローコンテクストな、もう少し直接的なコミュニケーションを好む人も増えているという記事を、
この今回の動画の準備をする中でいくつか目にしました。
例えばですね、ちょっと極端な例かもしれないんですけど、職場で上司が部下に「この資料を作っといて」って言った時、典型的なハイコンテクスト文化の中では、
多分ね、はっきりと「いついつまで」っていう期日を言われなくても、例えばその資料がどれぐらい重要なものなのかっていう背景の情報だったり、
「作っといて」って言う時の上司の声のトーンとか、そういう部分から、その資料作成が緊急を要するものなのか、それともゆっくりでいいのか察すると思うんです。
あ、なんか急ぎっぽいな、みたいな。
でも最近の若者の中には、具体的に「いつまでに」と指示されないと取りかからないみたいなケースも増えているらしくて、
「若手の社員には、より明確な、具体的な指示を出した方がいい」みたいなアドバイスをしているサイトをいくつも見ました。
はい。
それから私が面白いなと思ったことを1つ紹介します。
それは日本人がよく使う絵文字です。
日本をはじめとするハイコンテクストの文化の中では、対面での面と向かっての会話の時だけじゃなくって、
テキストでのやり取りの中でも非言語の情報をよく使います。
ハイコンテクスト文化の人たちの方がメッセージのやり取りをする時に、絵文字を多用したり、あと句読点、日本語だったら点や丸をつけますよね。
そういったものの使い方で、自分の気持ちとかトーンを伝えようとすることが多いらしいです。
あと、「...」もそうですよね。
私はっきり伝えにくいことを書く時、「...」ってよく使います。
そういった絵文字とか記号の使い方で、自分の伝えたい微妙なニュアンスを表現することがとても多いです。
普段私たちは、対面のコミュニケーションの場合は、ジェスチャーとか表情とか、声のトーンなどの
非言語の要素に頼りながらコミュニケーションを取ってるわけじゃないですか。
でもメッセージの場合はそういうわけにはいかないですよね。
ジェスチャーも表情も見えませんから。
なのでそれを補うために、無意識に絵文字や記号を使って、その非言語の部分を伝えようとしてるんだと思います。
私も実際LINEする時とか、かなり絵文字を使いますし、なんなら絵文字だけで返す時もあるぐらいだし、句読点の入れ方もすごい気にします。
句読点を打つタイミングとかによっても、微妙なニュアンスが変わるような気がするので、すごい気にしますね。
はい。
でも英語圏の人とか見てると、あんまり絵文字使わないですよね。
どうですか?皆さん使いますか?
このハイコンテクストローコンテストという概念の理解は、異なる文化的背景を持つ人同士がコミュニケーションを取る上で、すごく大事だと思います。
もしこういったコミュニケーションスタイルの違いがあることを知らなかったら、
例えばローコンテクストなコミュニケーションに慣れてる...例えばアメリカ人が、ハイコンテクスト文化な日本人的なコミュニケーションを体験すると、
「なんで言葉ではっきり言ってくれないんだろう」って戸惑ったり、不信感を感じるケースもあると思います。
逆に、ハイコンテクストなコミュニケーションに慣れてる日本人は、
例えばですけど、アメリカ人の直球な、ストレートな言い方に戸惑ったりすることもあるかもしれません。
この2つの分類は、どっちが優れてるとかどっちが劣ってるとか、そういう優劣のあるものではなくって、単に違いですよね。
だからどっちがいいとかいうわけではなく、ま、コミュニケーションのスタイルにも色々あるんだなってことを理解することが、
トラブルとか誤解を減らすことに繋がるんだと思います。
はい。
日本がいかにハイコンテクスト文化かってことをさっきお話したんですけど、
さっきも言ったようにね、非言語の情報に依存したコミュニケーションっていうのは、
みんながある程度同じような価値観を共有してるよねっていう前提のもとで成り立つものですよね。
その前提がなければ、やっぱり誤解が生じたりすると思います。
今の日本では、少しずつ社会の多様化が進んでいます。
日本に住む外国人の数も年々増えてますし、日本人の中だけで見ても、昔と比べるとより多様な、異なる価値観を持つ人が増えてきていると思います。
だから昔ほどは「私たちみんな同じ価値観共有してるよね」っていう前提が通じないというか、その前提がちょっと崩れてきているって言えるかもしれません。
そうなると、今後は日本でも、その時と場合に応じて、はっきり言葉で明確に伝える
ローコンテクスト的なコミュニケーションの必要性も増していくのかなって、ちょっと思いました。
はい、今日の内容はここまでです。