
こんにちは。
今日はちょっと新しい試みをしてみたいと思います。
皆さんと一緒に日本の文学を読んでみたいと思います。
今回は、明治時代から大正時代にかけてたくさんの作品を残した日本の文豪、夏目漱石の書いた「坊っちゃん」を一緒に読みたいと思います。
夏目漱石、聞いたことありますか?
今はもう違う人に変わっちゃったんですけど、以前、日本のお札、千円札にも描かれていた人物です。
彼の代表作としては「坊っちゃん」以外にも「我が輩は猫である」とか、「心」なんかが有名ですね。
皆さんの中にも聞いたことあるという方、いらっしゃるかもしれません。
私は学生時代に確か国語の教科書か何かで冒頭の部分は読んだことがあるんですけど、実際に全部最後まで読んだことはありません。
いい機会なので、皆さんと一緒に有名な日本の文学を楽しめたらなと思います。
1つ皆さんにお見せしたいサイトがあります。
ちょっと待ってくださいね。
はい、これ「青空文庫」っていうサイトなんですけど、ご存知ですか?
このサイトはですね、著作権フリーの古い作品が集められているサイトです。
著作権っていうのは、基本的には作者の死後70年経つと切れます。
作者が亡くなって70年経ったら著作権が切れて、パブリックドメインっていうんですかね、著作権フリーになります。
夏目漱石も1916年に亡くなっているので、彼の作品は全て著作権が切れています。
ちょっと探してみると、さっき言った「心」だったり、下の方に行くと「我が輩は猫である」もありますね。
それから今回読むのがこの「坊ちゃん」です。
坊ちゃん、2種類あるんですけど、こっちは旧仮名と書いているので、昔の古い仮名、ひらがなが使われている文ですね。
こっちの新仮名の方が読みやすいと思いますので、こっちを読みます。
ちょっと戻ると、他にもですね、日本の昔の文豪って言ったら、この人は知っていますか、皆さん?
芥川龍之介。
芥川龍之介の作品はなんと379も公開されています。
ね、いっぱいありますね。
芥川龍之介って言ったら何が有名でしょうか?
例えば、「羅生門」とか「鼻」なんかが有名ですね。
あともう一人紹介すると、この人は知ってますかね?
太宰治。
はい、太宰治もとても有名な昔の作家です。
こんな風にですね、昔のすでに著作権が切れた作品を無料で読むことができるサイトです。
古い文学に興味のある方は是非見てみてください。
青空文庫と言います。
これまでにも動画で何度か日本の文学とか児童文学を扱ったことがありますが、その時はいつもこのサイトで作品を探しています。
はい、じゃあ早速坊っちゃんを読んでいきたいんですが、この作品は今から100年以上前に書かれたものなので、
結構古い言葉、今では一般的には使われない言葉もいっぱい出てきます。
正直私でもちょっと意味が分からない言葉が結構ありました。
なので、そういう部分にちょっと解説を加えながら、補足しながら一緒に読んでいきたいと思います。
あ、ちなみにですね、これ目次を見ると、第1章から第11章まであるんですね。
結構長いです。
今日はとりあえず第1章だけ読みます。
で、皆さん良かったらこの動画を見た後にフィードバックをください。
皆さんにとってためになりそうであれば、そして面白いと感じていただけるようであれば、最後までシリーズ化してやりたいと思います。
でももしあんまり反応が良くなければ、1章だけで終わりにするかもしれません。
ちょっと今日はお試しです。
フィードバックお待ちしてます。よろしくお願いします。
じゃあ始めましょう。
坊っちゃん。
夏目漱石。
親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。
無鉄砲っていうのは、後先考えずに行動をする人のことです。
これ子供っていう字、普通は小さいじゃなくて子供の子を使いますよね。
うん。
ま、なぜか、昔はこう書いてたのかな...この小さいという字が使われています、ここでは。
結構こんな風に後の方でもですね、今とちょっと違う漢字が使われている言葉がたくさん出てきます。
小学校にいる時分。
小学校の時っていうことですね。
小学校にいる時分、学校の2階から飛び降りて1週間ほど腰を抜かしたことがある。
腰を怪我したんでしょうかね。
「なぜそんなむやみをした?」と聞く人があるかもしれない。
別段、特別深い理由でもない。
新築の2階から首を出していたら、同級生の1人が冗談に「いくら威張ってもそこから飛び降りることはできまい」「弱虫やーい」とはやしたからである。
小使におぶさって帰ってきた時、親父が大きな目をして、「2階ぐらいから飛び降りて腰を抜かすやつがあるか」と言ったから、
「この次は抜かさずに飛んで見せます」と答えた。
小使っていうのは、今で言う用務員さんみたいな、小学校とかで働いている人のことだそうです。
小使におぶさって。
おぶさってっていうのは、おんぶされてということですね。
次、ここです。
親類のものから西洋性のナイフをもらって、綺麗な刃を日にかざして友達に見せていたら、1人が「光ることは光るが切れそうもない」と言った。
切れぬことがあるか、何でも切って見せると受けあった。
そんなら君の指を切ってみろと注文したから、なんだ、指くらいこの通りだと、右手の親指の甲をはすに切り込んだ。
はすにっていうのは、斜めにという意味です。
幸いナイフが小さいのと、親指の骨が硬かったので、未だに親指は手についている。
しかし、傷跡は死ぬまで消えぬ。
ここです。
庭を東へ20歩に行き尽くすと、20歩行ってしまうと、南上がりにいささかばかりの菜園があって。
いささかばかりっていうのは、ちょっとしたという意味ですね。
真ん中に栗の木が1本立っている。
これは命より大事な栗だ。
実の熟する時分は起き抜けに背戸を出て、落ちたやつを拾ってきて、学校で食う。
起き抜けに、起きてすぐということですね。
背戸っていうのは、扉でしょうね。
菜園の西側が山城屋という質屋の庭続きで、この質屋に勘太郎という13,4の倅がいた。
倅、息子のことです。
質屋の息子さんが勘太郎ですね。
勘太郎は無論弱虫である。
もちろん、言うまでもなく、弱虫だ。
弱虫の癖に四つ目垣を乗り越えて栗を盗みに来る。
四つ目垣って何でしょうね?
はい、これが四つ目垣だそうです。
ここですね。
ある日の夕方、折戸の陰に隠れてとうとう勘太郎を捕まえてやった。
ここ読み仮名「つらまえてやった」ってなってますけど、ま、今は「つかまえてやった」と読みますね。
その時、勘太郎は逃げ道を失って一生懸命に飛びかかってきた。
向こうは2つばかり年上である。
向こうというのは勘太郎のことですね。
弱虫だが力は強い。
鉢の開いた頭を。
鉢の開いた頭というのはおでこが広いという意味です。
こっちの胸へ当ててぐいぐい押した拍子に勘太郎の頭が滑って、俺の袷、着物ですね、
の袖の中に入った。
邪魔になって手が使えぬからむやみに手を振ったら、袖の中にある勘太郎の頭が右左へぐらぐらなびいた。
終いに苦しがって袖の中から俺の二の腕へ食いついた。
痛かったから勘太郎を垣根へ押し付けておいて。
垣根ってさっきのこれですね。
足がらをかけて向こうへ倒してやった。
足がらをかけて。
足を引っ掛けるっていうことですね。
はい。
向こうへ倒してやった。
山城屋の地面は菜園より六尺がた低い。
この尺というのは、昔の長さの単位です。
一尺が30センチくらい。
なので六尺と言ったら180センチ、2メートル弱ぐらいですね。
六尺ぐらい低い。
勘太郎は四つ目垣を半分崩して自分の領分へ、自分の家の方へ真っ逆さまに落ちてぐうと言った。
勘太郎が落ちる時に俺の袷の片袖がもげて急に手が自由になった。
その晩、母が山城屋に詫びに行ったついでに袷の片袖も取り返してきた。
ここです。
この他いたずらはだいぶやった。
大工の兼公と肴屋の角を連れて茂作の人参畑を荒らしたことがある。
畑っていう字なんかもちょっと今と書き方が違いますね。
人参の芽が出揃わぬところへ、まだ芽が全部出てしまっていないところに、藁が一面に敷いてあったから、
その上で3人が半日相撲を取り続けに取ったら、人参がみんな踏みつぶされてしまった。
古川の持っている田んぼの井戸を埋めて、尻を持ち込まれたこともある。
尻を持ち込まれたっていう言葉、私も知らなくて調べたんですけど、何かが起きた時にその責任を問われるとか、後始末をさせられるという意味だそうです。
太い孟宗の節を抜いて。
孟宗って何でしょうね?
うん、なんかタケノコのことかな?
タケノコですね。
はい。
孟宗の節を抜いて深く埋めた中から水が湧き出て、そこいらの稲に水がかかる仕掛けであった。
その時分はどんな仕掛けか知らぬから、石や棒ちぎれをぎゅうぎゅう井戸の中へ差し込んで
水が出なくなったのを見届けて家へ帰って飯を食っていたら、古川が真っ赤になって怒鳴り込んできた。
確か罰金を出して済んだようである。
ここです。
親父はちっとも俺を可愛がってくれなかった。
母は兄ばかりひいきにしていた。
この兄はやに色が白くて。やに。
いやにとか、やけにみたいな意味ですね。
やに色が白くて、芝居の真似をして女形になるのが好きだった。
女形。
歌舞伎とかで男性が白く塗って女性の役をすることを女形と言います。
俺を見るたびに、こいつはどうせろくなものにはならないと親父が言った。
乱暴で乱暴で行く先が案じられると母が言った。
行く先が案じられるっていうのは、将来が心配だという意味です。
なるほど、ろくなものにはならない。
ご覧の通りの始末である。
行く先が案じられたのも無理はない。
ただ、懲役に行かないで生きているばかりである。
懲役っていうのは、何か犯罪を犯した時に警察に捕まって刑務所に入りますよね。
懲役5年って言ったら5年間刑務所に入らなくちゃいけないっていうことです。
はい、なのでまあ刑務所に入るようなことはしてないっていうことですね。
はい。次の段落に行きます。
母が病気で死ぬ2、3日前、台所で宙返りをして、へっついの角であばら骨を打って大いに痛かった。
へっつい。
へっついって何でしょうね?
はい、へっついてこんなのです。
料理をするとこですね。
ま、へっついという言葉より、釜戸いう言い方の方が一般的だと思います。
このへっついの角であばら骨を打って、大いに痛かった。
母が大そうを怒って、お前のようなものの顔は見たくないと言うから、親類へ泊まりに行っていた。
親戚のところに泊まりに行っていた。
すると、とうとう死んだという知らせが来た。
そう早く死ぬとは思わなかった。
そんな大病ならもう少しおとなしくすればよかったと思って帰ってきた。
そうしたら例の兄が俺を、親不幸だ、俺のために、俺のせいでおっかさんが早く死んだんだと言った。
悔しかったから兄の横っ面を張って、はたいて、大変叱られた。
はい、ここです。
母が死んでからは親父と兄と3人で暮らしていた。
親父は何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば、貴様はダメだダメだと口癖のように言っていた。
何がダメなんだか今にわからない。
未だに分からないという感じですかね。
妙な親父があったもんだ。
兄は実業家になるとか言って、しきりに英語を勉強していた。
元来、女のような性分で、もともと女みたいな性格で、ずるいから仲が良くなかった。
10日に一遍ぐらいの割で喧嘩をしていた。
ある時、将棋をさしたら卑怯な待駒をして人が困ると嬉しそうに冷やかした。
将棋ってわかりますか?皆さん。
将棋、こんなのですね。
はい、将棋をさすと言います。
はい。
将棋というのはこの王ですね、相手の王を取ったら勝ちなんですね。
待駒っていうのは、その相手の王が逃げられなくするように、こう、逃げ道を塞ぐように駒を打っておくことを待駒って言うそうです。
で、そういう卑怯な手を使って、人が困ると嬉しそうに冷やかした。
あんまり腹が立ったから手にあった飛車を。
飛車というのも将棋の駒ですね。
眉間へ叩きつけてやった。
眉間が割れて少々血が出た。
兄が親父に言いつけた。
親父が俺を勘当すると言い出した。
勘当するっていうのは、親子の縁を切るということです。
その時は、もう仕方がないと観念して、諦めて、先方、向こうの言う通り勘当されるつもりでいたら、
10年来召し使っている清という下女が泣きながら親父に謝って、ようやく親父の怒りが解けた。
下女というのは昔の言葉で身分の低い女性のことですね。
はい、清さんという人が出てきました。
清さんはこの家の召使いみたいな、いろんなお世話をしている女性です。
それにもかかわらず、あまり親父を怖いとは思わなかった。
かえってこの清という下女に気の毒であった。
この下女は元由緒のあるものだったそうだが、瓦解のときに零落して、つい奉公までするようになったのだと聞いている。
はい、ちょっと難しい言葉が色々出てきました。
はい、由緒のあるというのは、伝統があるみたいな意味ですね。
で、瓦解のときに零落して。
ここ私意味が分からなくて調べてみたんですが、瓦解というのは、徳川幕府の崩壊のことだそうです。
で、零落というのは、この落ちるという漢字でも分かるように「落ちぶれていく」っていう意味だそうです。
なので、もともとこの清さんは由緒ある伝統ある家の出身だったんだけど、徳川幕府が崩壊した時に落ちぶれてしまって、
つい、ついには奉公、人のお家に住み込んで召使をすることですね。
奉公までするようになったのだと聞いている。
だから婆さんである。
この婆さんがどういう因縁か、これ普通は「いんねん」と読みますが、ここでは「いんえん」になっています。
どういう因縁か、俺を非常に可愛がってくれた。
不思議なものである。
母も死ぬ3日前に愛想を尽かした。
親父も年中持て余している。
持て余しているっていうのは、扱いに困っている。
町内では乱暴者の悪太郎、悪いやつとつまはじきをする。
そんなね、この俺をむやみに珍重してくれた。
珍しがって大事にしてくれた。
俺は到底人に好かれるたちではないと諦めていたから、他人から木の端のように取り扱われるのは何とも思わない。
この木の端のようにというのは、つまらないものとして扱われる。
大事にされないということですね。
それは何とも思わない。
かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審に考えた。
清は時々台所で人のいない時に「あなたはまっすぐで良いご気性だ」気性、性格がいいってことですね。
と褒めることが時々あった。
しかし俺には清の言う意味が分からなかった。
いい気性なら清以外のものも、もう少し良くしてくれるだろうと思った。
清がこんなことを言うたびに、俺は「お世辞は嫌いだ」と答えるのが常であった。
すると婆さんは「それだからいいご気性です」と言っては嬉しそうに俺の顔を眺めている。
自分の力で俺を製造して誇っているように見える。
少々気味が悪かった。
ここです。
母が死んでから、清はいよいよ俺を可愛がった。
ますます俺を可愛がった。
時々は子供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。
つまらない。
よせばいいのに。
やめておけばいいのにと思った。
気の毒だと思った。
それでも清は可愛がる。
折々は、時々は、自分の小遣いで金鍔や紅梅焼を買ってくれる。
金鍔というのはあんこの和菓子の名前です。
紅梅焼はおせんべいの一種です。
寒い夜などは密かに蕎麦粉を仕入れておいて、いつの間にか寝ている枕元へ蕎麦湯を持ってきてくれる。
時には鍋焼きうどんさえ買ってくれた。
ただ、食い物ばかりではない。
靴足袋ももらった。
鉛筆ももらった。
帳面ももらった。
これはノートのことですね。
これはずっと後のことであるが、金を三円ばかり貸してくれたことさえある。
何も貸せといったわけではない。
向こうで、向こうというのは清のことですね。
清が部屋へ持ってきて、「お小遣いがなくてお困りでしょう?お使いなさい。」と言ってくれたんだ。
俺は無論、もちろん、いらないと言ったが、ぜひ使えと言うから借りておいた。
実は大変嬉しかった。
その三円をがま口へ入れて、がま口っていうのは財布の一種です。
金具がついた財布です。
がま口へ入れて懐へ入れたなり便所へ行ったら、すっぽりと後架の中へ落としてしまった。
トイレの下にがま口を落としちゃったんですね。
仕方がないからのそのそ出てきて、「実はこれこれだ」と清に話したところが、清は早速竹の棒を探してきて「取ってあげます」と言った。
これ昔の話ですから、昔のトイレは水洗じゃありませんね。
水で流すトイレではありません。
その昔のトイレから竹の棒でがま口を取ってくれると言ったそうです。
しばらくすると、井戸端で、井戸の近くで、ザーザー音がするから出てみたら、竹の先へがま口の紐を引きかけたの、引っかけたのを、水で洗っていた。
それから口を開けて、口というのはこの口じゃなくて、がま口の口ですね。
口を開けて一円札を改めたら。
この改めるというのは確認するという意味で使われています。
一円札を改めたら、茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢、火鉢というのはこんなのです。
今でいうストーブですね。
火鉢で乾かして、「これでいいでしょ」と出した。
ちょっと嗅いでみて「臭いや」と言ったら、「それじゃお出しなさい。取り替えてきてあげますから。」と、
どこでどう誤魔化したか、札の代わりに銀貨を三円持ってきた。
この三円は何に使ったか忘れてしまった。
今に返すよと言ったぎり、言ったっきり、返さない。
今となっては10倍にして返してやりたくても返せない。
はい、次です。
清が物をくれる時には必ず親父も兄もいない時に限る。
俺は何が嫌いだと言って、人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いなことはない。
兄とは無論、仲が良くない。けれども、兄に隠して清から菓子や色鉛筆をもらいたくはない。
なぜ俺一人にくれて兄さんにはやらないのか、と清に聞くことがある。
すると清は、すましたもので、お兄様はお父様が勝手をあげなさるから構いません、という。
これは不公平である。
親父は頑固だけれども、そんな依枯贔屓はせぬ男だ。
依枯贔屓っていうのは、ま、よく先生とか親がする時に使われるんですけど、自分が気に入っている子とそうじゃない子で差別をすることですね。
気に入っている子にだけ優しくしたり、何か買ってあげたり、よくしてあげることを依枯贔屓って言います。
親父は頑固だけど、そんな依枯贔屓はしない。
しかし清の目から見るとそう見えるのだろう。
全く愛に溺れていたに違いない。
坊っちゃんへの愛に溺れているので、清の目から見ると、ぼっちゃんが依枯贔屓されてね、かわいそうっていう風に映ったっていうことかなと思います。
元は身分のあるものでも、教育のないばあさんだから仕方がない。
単にこればかりではない。
ひいき目は恐ろしいものだ。
清は俺を持って、将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。
俺を持って。
ね、「こんな俺を」みたいな意味ですね。
世に出て認められて偉くなると、清は信じていたんですね。
はい。
そのくせ勉強をする兄は、色ばかり白くってとても役には立たない、と一人で決めてしまった。
こんなばあさんに会ってはかなわない。
かなわない。
ここでは、ま、「どうしようもない」みたいな意味で使われています。
自分の好きなものは必ず偉い人物になって、嫌いな人はきっと落ちぶれるものと信じている。
俺はその時から別段何になるという了見もなかった。
特に何かになりたいっていう考えもなかった。
しかし清がなるなると言うものだから、やっぱり何かになれるんだろうと思っていた。
今から考えるとバカバカしい。
ある時などは、清にどんなものになるだろうと聞いてみたことがある。
ところが、清にも別段の考えもなかったようだ。
ただ、手車へ乗って立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと言った。
手車というのはこんなものです。
こんなものに乗るような偉い人になって、立派な玄関のある家を作るに違いないと言った。
それから清は、俺が家でも持って独立したら一緒になる気でいた。
一緒に住む気でいた。
「どうか置いてください」と何遍も繰り返して頼んだ。
俺もなんだか家が持てるような気がして「うん、置いてやる」と返事だけはしておいた。
ところがこの女はなかなか想像の強い女で、「あなたはどこがお好き?」「麹町ですか?」「麻布ですか?」麹町も麻布も町の名前ですね。
お庭へブランコをおこしらえ遊ばせ。
庭にブランコを作ってください。
西洋間、洋室は1つでたくさんです。
などと、勝手な計画を一人で並べていた。
その時は家なんか欲しくもなんともなかった。
西洋館も日本建ても全く不要であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。
すると、あなたは欲が少なくて心がきれいだと言って、また褒めた。
清は何と言っても褒めてくれる。
次の段落です。
母が死んでから5、6年の間は、この状態で暮らしていた。
親父には叱られる。
兄とは喧嘩をする。
清には菓子をもらう。
時々褒められる。
別に望みもない。
これでたくさんだ、これで十分だと思っていた。
他の子供も一概にこんなものだろうと思っていた。
ただ清が何かにつけて、「あなたはおかわいそうだ」「不幸せだ」とむやみに言うものだから、それじゃあ、かわいそうで不幸せなんだろうと思った。
その他に苦になることは少しもなかった。
ただ、親父が小遣いをくれないには、閉口した。
閉口というのは困ったという意味だそうです。
親父が小遣いをくれないことには困った。
母が死んでから6年目の正月に、親父も卒中で亡くなった。
脳卒中という病気ですね。
その年の4月に俺はある私立の中学校を卒業する。
6月に兄は商業高校を卒業した。
兄はなんとか会社の九州の支店に口があって。
ここで言う口というのは、働き口、仕事という意味です。
口があって行かなければならん。
俺は東京でまだ学問をしなければならない。
兄は家を売って財産を片付けて、任地へ出立すると言い出した。
働く場所に出発すると言い出した。
俺は、「どうでもするがよかろう」と返事をした。
好きにしろと返事をした。
どうせ兄の厄介になる気はない。
兄のお世話になる気はない。
世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向こうでも何とか言い出すに決まっている。
これも今とは字が違いますね。
なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。
なまじいというのは中途半端にという意味です。
中途半端にお世話してもらったら、こんな喧嘩ばっかりの兄に頭を下げてお願いしなくちゃいけない。
牛乳配達をしても食ってられると覚悟した。
兄はそれから道具屋を呼んできて、先祖代々のガラクタを二束三文に売った。
二束三文っていうのは「すごく安い値段で」という意味です。
家屋敷はある人の周旋で、ある金満家に譲った。
周旋でというのは、ある人に斡旋してもらって、紹介してもらって。
金満家というのはお金持ち、裕福な人のことだそうです。
金持ちに譲った。
この方はだいぶ金になったようだが、詳しいことは一向知らぬ。
俺は1ヶ月以前からしばらく前途の方向の着くまで、神田の小川町へ下宿していた。
しばらく将来の方向性が決まるまで、小川町というところにアパートを借りて住んでいた。
清は十何年いた家が人手に渡るのを大いに残念があったが、自分のものでないからしようがなかった。
しょうがなかった。
「あなたがもう少し年を取っていらっしゃれば、ここがご相続できますものを」としきりに口説いていた。
相続っていうのは引き継ぐということですね。
親の財産とか土地とかをね。
もう少し年を取って相続ができるものなら、今でも相続ができるはずだ。
婆さんは何にも知らないから、年さえ取れれば兄の家がもらえると信じている。
兄と俺はかように別れたが、このようにして別れたが、困ったのは清の行く先である。
兄は無論連れていける身分でなし。
清も兄の尻にくっついて九州くんだりまで出かける気は毛頭なし。
九州くんだり。
下りですね。
これは、地方に行くことを下ると言ったりします。
電車や新幹線でも、東京を中心に東京から反対方向に行くことを下り、
で、東京に向かうことを上りと言います。
九州くんだりまで、地方まで出かける気は毛頭なし。
全くない。
と言って、この時の俺は四畳半の安下宿にこもって、それすらもいざとなれば直ちに引き払わねばならぬ始末だ。
四畳半の安下宿。
四畳半って言ったら畳四枚と半分の広さなので、とても狭い安いアパートに住んでたんですね。
だから清を引き取ることはできませんね、坊っちゃんには。
どうすることもできん。
清に聞いてみた。
どこかへ奉公でもする気かね?
どこかまた雇ってくれる家を見つけて召使にでもなる気かね?
と言ったら、あなたがお家を持って奥様をおもらいになるまでは、仕方がないから甥の厄介になりましょう、とようやく決心した返事をした。
この甥は裁判所の書記で、まず今日には差し支えなく暮らしていたから、今までも清に「来るなら来い」と二、三度進めたのだが、
清はたとい、たとえ下女奉公はしても、年来住み慣れた家の方がいいと言って応じなかった。
しかし今の場合、知らぬ屋敷へ奉公がえをしていらぬ気兼ねをし直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。
また別のね、新しい家に行って新しい家の召使いになって、またいちから気を使って関係を築くよりも、甥の世話になった方がいいと思ったのだろう。
それにしても早く家を持ての、妻、奥さんをもらえの、来て世話をするのと言う。
親身の甥よりも、身内の甥よりも、他人の俺の方が好きなのだろう。
九州へ経つ2日前、兄が下宿へ来て金を600円出して、これを資本にして商売をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意に使うがいい。
好きなように使うがいい。
その代わり後は構わないと言った。
もうこれをやるから、後はもう関わりたくないということですね。
兄にしては感心なやり方だ。
なんの600円ぐらい、もらわんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡白な処置が気に入ったから、礼を言ってもらっておいた。
例に似ぬ淡白な処置。
いつもの、普段の兄とは違う、淡白な、あっさりとした、さっぱりとしたやり方が良かったから、もらっておいた。
兄はそれから50円出して、これをついでに清に渡してくれと言ったから、意義なく引き受けた。
2日経って新橋の停車場で別れたぎり、停車場というのは駅という意味です。
駅で別れたっきり、兄にはその後、一遍も会わない。
俺は600円の使用法について寝ながら考えた。
商売をしたって面倒くさくてうまくできるものじゃないし、ことに600円の金で商売らしい商売がやれるわけでもなかろう。
よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないから、つまり損になるばかりだ。
資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。
600円を3に割って1年に200円ずつ使えば、3年間は勉強ができる。
3年間一生懸命にやれば何かできる。
それからどこの学校へ入ろうと考えたが、学問は生来、もともと生まれつき、どれもこれも好きでない。
ことに、特に語学とか文学とかいうものはまっぴらごめんだ。
新体詩、これは文の書き方でこういうのがあるそうです。
新体詩などときては、20行あるうちで1行もわからない。
どうせ嫌いなものなら何をやっても同じことだと思ったが、幸い物理学校の前を通りかかったら生徒募集の広告が出ていたから、
「何も縁だ」「何事も縁だ」と思って、規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。
今考えると、これも親譲りの無鉄砲から起こった失策だ。
失敗だ。
3年間まあ人並みに勉強はしたが、別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定する方が便利であった。
ここでいう席順というのは、座る順番という意味ではなくて、成績ということですね。
成績は下から数えた方が早かったという意味です。
つまり、成績が悪かったということですね。
しかし、不思議なもので、3年たったらとうとう卒業してしまった。
自分でもおかしいと思ったが、苦情を言うわけもないから、おとなしく卒業しておいた。
卒業してから8日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って出かけて行ったら、四国あたりのある中学校で数学の教師がいる。
月給は40円だが、行ってはどうだという相談である。
俺は3年間学問はしたが、実を言うと教師になる気も田舎へ行く考えもなかった。
最も、教師以外に何をしようというあてもなかったから、この相談を受けた時、「行きましょう」と即席に返事をした。
ここで言う最もっていうのは、「まあ、とはいうものの...」っていう意味ですね。
すぐに、行きましょうと返事をした。
これも親譲りの無鉄砲が祟ったのである。
無鉄砲が災いした、無鉄砲が悪い影響をしたのである。
引き受けた以上は赴任せねばならぬ。
この3年間は四畳半に蟄居して。
蟄居という言葉、私も知らなかったので調べたんですが、引きこもるという意味だそうです。
四畳半に引きこもって、小言はただの一度も聞いたことがない。
子供の頃はお父さんとかね、みんなに小言を言われてましたけど、この3年間は誰にも小言を言われず過ごしていました。
喧嘩もせずに済んだ。
俺の生涯のうちでは比較的のんきな時節であった。
のんきな時期であった。
しかしこうなると、四畳半も引き払わなければならん。
生まれてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一緒に鎌倉へ遠足した時ばかりである。
この一緒という字もちょっと今と違う漢字ですね。
はい。今度は鎌倉どころではない。
大変な遠くへ行かねばならぬ。
地図で見ると、海浜で針の先ほど小さく見える。
どうせろくなところではあるまい。
どんな町でどんな人が住んでるか分からん。
分からんでも困らない。
心配にはならぬ。
ただ行くばかりである。
最も、少々めんどくさい。
家を畳んでからも、清のところへは折々行った。
時々行った。
清の甥というのは、存外、結構な人である。
存外というのは意外にという意味で、結構な人と言ったら、いい人ってことですね。
俺が行くたびに、おりさえすれば、家にいれば、何くれともてなしてくれた。
色々おもてなしをしてくれた。
清は俺を前へ置いて、色々俺の自慢を甥に聞かせた。
今に学校を卒業すると麹町あたりへ屋敷を買って役所へ通うなどと吹聴したこともある。
言いふらしたこともある。
一人で決めて一人で喋るから、こっちは困って顔を隠した。
それも一度や二度ではない。
折々、俺が小さい時、寝小便をしたことまで持ち出すには、閉口した。
困った。
甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分からぬ。
ただ清は昔風の女だから、自分と俺の関係を封建時代の主従のように考えていた。
主従関係って言ったら上下関係みたいな感じですね。
自分の主人なら甥のためにも主人にそういないと合点したものらしい。
つまり、坊っちゃんは清にとって主人なので、自分にとって主人であれば自分の身内である甥にとっても坊っちゃんは主人だという風に理解していた。
はい。
甥こそいい面の皮だ。
いい面の皮だというのは、いい迷惑だということです。
いい面の皮、いい迷惑。
「いい」と言ってますけど、これは本当にいいと思っているわけではなくって、ま、皮肉ですね。
いい迷惑だ。
いよいよ約束が決まって、ついに約束が決まって、もう立ついう3日前に清を訪ねたら、北向きの三畳に風邪をひいて寝ていた。
俺の来たのを見て、起き直るが早いか、起き直るとすぐに「坊っちゃん、いつ家をお持ちなさいます?」と聞いた。
卒業さえすれば、金が自然とポケットの中に湧いてくると思っている。
そんなに偉い人をつらまえて、つかまえてということですね。
まだ坊っちゃんと呼ぶのは、いよいよ馬鹿げている。
俺は単簡に。
これも初めて聞いた言葉なんですが、ま、簡単と同じ意味です。
簡単に「当分家は持たない。田舎へ行くんだ。」と言ったら、非常に失望した様子で。
これも字が今使われる様子という字と違いますね。
ゴマ塩の鬢の乱れをしきりに撫でた。
ここも、ちょっと私、意味が分からなくて調べたんですが。
ゴマ塩っていうのは、黒いゴマと塩が混ざった、よくご飯にかけて食べるものなんですけど。
こういうのですね。
ゴマ塩って白と黒じゃないですか。
なので、白と黒が混ざったものを「ゴマ塩」って表現することがあるそうです。
ここでは白髪混じりの清の髪の毛のことをゴマ塩と表現しています。
で、鬢というのは、この耳あたりの毛のことを鬢と言うそうです。
ゴマ塩の鬢の乱れをしきりに撫でた。
あまり気の毒だから、行くことは行くがじき帰る。
そのうち帰る。
来年の夏休みにはきっと帰ると慰めてやった。
それでも妙な顔をしているから、何を土産に買ってきてやろう?
何が欲しい?と聞いてみたら。
この土産もね、字が違いますね。
越後の笹飴が食べたいと言った。
越後の笹飴なんて聞いたこともない。
第一方角が違う。
俺の行く田舎には笹飴はなさそうだと言って聞かせたら、そんならどっちの見当です?
どっちの方向です?と聞き返した。
西の方だよと言うと、箱根の先ですか?手前ですか?と問う。
随分持て余した。
持て余した。
ここで「持て余した」っていうのは、扱いに困ったということです。
出立、出発のことですね。
出立の日には、朝から来て色々世話を焼いた。
来る途中、小間物屋で買ってきた歯磨きと楊枝と手ぬぐいを、ズックのかばんに入れてくれた。
小間物屋。
小間物屋、うーん...ま、色んな物が売ってる、日用品などが売ってるお店を昔、小間物屋って呼んでいたそうです。
はい。色々小間物屋で買ってきたものをズック、布のかばんに入れてくれた。
そんなものはいらない。
これ、「はいらない」じゃなくて「いらない」ですね。
いらないと言ってもなかなか承知しない。
車を並べて停車場へ着いて、駅へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだ俺の顔をじっと見て。
ここで言う車は汽車のことです。
汽車のことですね。
俺の顔をじっと見て、「もうお別れになるかもしれません。随分ご機嫌よう。」ご機嫌よう、「お元気で」ということですね。
と小さな声で言った。
目に涙がいっぱい溜まっている。
俺は泣かなかった。
しかし、もう少しで泣くところであった。
汽車がよっぽど動き出してからもう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して振り向いた。
やっぱり立っていた。
なんだか大変小さく見えた。
はい、ということで、ここまでが坊ちゃんの第1章でした。
結構長かったですね。
坊っちゃんのね、無鉄砲な幼少期の話と、お手伝いさんの清との思い出、それから大人になって学校の先生として田舎に赴任するその出発、
清との別れまでのお話でした。
続きが気になるとか、2章以降も一緒に読んでいきたいという声があれば、続けていきたいと思います。
自分で続きを読んでみたいという方は、是非、青空文庫で読んでみてください。
で、是非感想を教えてくださいね。
はい、今日はここまでです。
またね!