
Your support helps me continue creating Japanese learning content. If you enjoy learning Japanese with Nihongo no Jikan, please consider supporting the project with a donation.
Amount (USD)
Already a monthly supporter?
Manage or cancel your subscription
You can also donate via Ko-fi or Patreon
こんにちは。
今日は坊っちゃんの第3章を読んでいきます。
前回第2章では、坊っちゃんが愛媛県の学校に赴任して、いろんな同僚の先生達が出てきました。
坊っちゃんが色々と面白いあだ名をつけていましたね。
今回の第3章では、いよいよ坊っちゃんが授業を始めます。
教壇に立って、生徒を前に授業を始めます。
さあ、今回はどんなことが起きるんでしょうか?
じゃあ早速読んでいきましょう。
いよいよ学校へ出た。初めて教場へ入って高い所へ乗った時は何だか変だった。
教場というのは今で言う教室のことです。
高いところへ乗ったっていうのは、一段高いところに登って教壇に立ったという意味ですね。
生徒たちの前に立った。
講釈をしながら、俺でも先生が務まるのかと思った。
講釈というのは、説明をすることです。
えっと、よく使う表現で講釈をたれるという言葉があります。
講釈をたれるっていうと、あんまりいい意味では使われません。
どちらかと言うとなんか偉そうに上から目線で人に色々説明をすることを講釈をたれるって言います。
ここでは、単に授業をして色々説明をするという意味で使われています。
生徒はやかましい。
時々図抜けた大きな声で「先生」と言う。
図抜けた。
これはずば抜けたと同じ意味ですね。
ずば抜けたっていうのは、図抜けたも同じ意味ですけど、これは普通よりもはるかにすごいという意味です。
ずば抜けた才能があるとか、数学がずば抜けてよくできるとか言います。
「先生」には応えた。
ここの応えるは、返事をするという意味の「こたえる」ではありません。
ここで言う「応える」っていうのは、ぐっとこう、胸に突き刺さるみたいな意味です。
今まで物理学校で毎日「先生先生!」と呼びつけていたが、先生と呼ぶのと呼ばれるのは雲泥の差だ。
なんだか足の裏がムズムズする。
俺は卑怯な人間ではない。
臆病な怖がりな男でもないが、惜しいことに胆力が欠けている。
胆力って何でしょう?
胆力っていうのは、物事に動じない心だそうです。
すぐこう、動揺する人もいますよね。
あ、どうしよう、どうしようって動揺する人は胆力がないです。
私は胆力がありませんね。
皆さんはどうですか?
胆力がある人は物事に動揺せず、動じず、いつも落ち着いています。
冷静です。
胆力が欠けている坊っちゃんは、動揺してしまうんですね。
あぁ...って。
そこが、まぁ坊っちゃんの惜しいところだそうです。
「先生!」と大きな声をされると、腹の減った時に丸の内で午砲を聞いたような気がする。
はい、ここ、私もちょっとこの例えの意味がよく分からなくて調べたんですけど。
まずね、丸の内っていうのは東京にある地名です。
で、午砲、これ、正しくは「ごぼう」って読むらしいんですけど、ま、スラングみたいな感じで俗にどんって呼ばれてたそうです。
これ何かと言うと、えっと、昔ですね、この坊っちゃんが書かれた時代、東京では正午、正午ってお昼の12時ですね。
正午を知らせる合図としてサイレンが鳴っていたそうです。
で、そのサイレンの音が多分ドンって鳴ってたのかな。
そのサイレンのことを午砲と言っていたそうです。
はい、なので、えっと、坊っちゃんは「先生!」って大きな声で呼ばれると、お腹が空いてる時に、
丸の内でそのお昼の正午のサイレンを聞いて「はあ!」ってびっくりしますよね、サイレンがいきなり鳴ると。
びっくりした時のような、そんな気がすると。
動揺してしまうということですね。
最初の1時間はなんだかいい加減にやってしまった。
いい加減、適当に。
いい加減じゃないですね、ここは。
適当にやっちゃった。
しかし別段、特に困った質問もかけられずに済んだ。
控え所へ帰ってきたら山嵐、これ、同僚の先生ですね。
山嵐が「どうだい?」と聞いた。
「うん」と単簡に、簡単に返事をしたら、山嵐は安心したらしかった。
次の段落に行きます。
2時間目に白墨、チョークですね。黒板に字を書くチョークを持って控え場を出た時には、なんだか敵地へ乗り込むような気がした。
敵地。
戦う相手の、敵の陣地に乗り込むような気がした。
教場へ出ると、今度の組は前より大きなやつばかりである。
俺は江戸っ子で華奢に小作りにできているから、どうも高いところへ上がっても押しが利かない。
華奢っていうのは体が小さくて、細身の人のことを華奢って言いますね。
坊っちゃんは華奢で体が小さいから、押しが利かないそうです。押しが利かないというのは威圧感がない。
体が大きい人は人前に立つとドンっと威圧感がありますよね。
坊っちゃんは華奢なので威圧感がない。
それを押しが利かないと言っています。
喧嘩なら相撲取りとでもやってみせるが、こんな大僧を40人も前へ並べて、ただ1枚の舌を叩いて恐縮させる手際はない。
はい、こんな大僧。
これは大きな体の子供たちのことを指していますね。
生徒たちのことですね。
(大僧)を40人も前に並べて、ただ1枚の舌を叩いて。
これは言葉だけでという意味です。
言葉だけでね、喋りだけで恐縮させる。子供たちを「おお...」って恐縮させるような手際はない。
腕はない、そんな力は持っていない、ということです。
手際っていうのは通常、こういう使い方よりも、今は、手際がいいとか手際が悪いという表現でよく使われますね。
はい。
手際がいい人っていうのは段取り良く、ぱっぱっぱっと物事を早く終わらせることができる人のことを手際がいい。
はい。
しかし、こんな田舎者に弱みを見せると癖になると思ったから、なるべく大きな声をして、少々巻き舌で講釈してやった。
こんな田舎者って言って、このね、愛媛県の人たちのことをすごく馬鹿にしてますね。
巻き舌っていうのは「ルゥゥゥゥゥゥゥ」っていうこれ、これが巻き舌ですね。
なので、そんな風にもう早口でね、舌を巻くぐらい早口で喋って授業をした。
最初のうちは、生徒も煙に巻かれてぼんやりしていたから、それ見ろとますます得意になって、得意気になって、得意な気持ちになって、
べらんめい調を用いていたら、一番前の列の真ん中にいた一番強そうなやつがいきなり起立して「先生!」と言う。
はい。
煙に巻かれる。
煙に巻かれるっていうのは、この煙って煙のことです。
煙にこう巻かれると周りが見えないですよね。
そんな風によくわからないことを「わぁー」と言われて圧倒されている感じ。
これを煙に巻かれると言います。
子供たちは坊っちゃんが巻き舌で「わぁー」と講釈をするので、説明をするので、圧倒されてぼんやりしていた。
で、その様子を見て、坊っちゃんはさらに得意げになってべらんめい調...このべらんめいというのは、
昔の江戸っ子の言葉で「バカ野郎」みたいな相手を罵る言葉だそうです。
なので、そんな口調で罵るような口調を用いていたら、一番前の生徒が、「先生!」って言った。
そらきた、よしきたと思いながら「なんだ?」と聞いたら、「あまり早くて分からんけ、もっちとゆるゆるやっておくれんかな、もし」と言った。
これはここの、方言ですね。
はい。この地域の方言で、意味は「あまりにも早くて分からないから、もうちょっとゆっくりやってくれませんか?」と言ってます。
「おくれんかな、もし」は生ぬるい言葉だ。
生ぬるいっていうのは、生温かい、こう、中途半端に温かいことを生ぬるいっていうんですけど。
ま、良くない意味で使われますね。
生ぬるいって言ったら、この中途半端にあったかくて、なんかこう厳しさがないというか。
坊っちゃんはこの生徒たちの使う方言を「生ぬるい言葉だ」と馬鹿にしてます。
「早すぎるならゆっくり言ってやるが、俺は江戸っ子だから君らの言葉は使えない。
分からなければ分かるまで待ってるがいい」と答えてやった。
東京から来たっていうことをね、ものすごく坊っちゃんは誇りに思ってるんでしょうか。
もう終始馬鹿にしてますね。
すごく坊っちゃんのキャラクターが出てますね。
俺は江戸っ子だ。
東京から来たんだぞっていうね、プライドの高さと、上から目線の感じがすごく出てますね。
この調子で2時間目は思ったより上手くいった。
ただ、帰りがけに生徒の一人が「ちょっとこの問題を解釈をしておくれんかな、もし」と、できそうもない幾何の問題を持って迫ったには、冷や汗を流した。
うん。
坊っちゃん的には、こうね、まくし立てるような言葉を使って、うまくいったぞと思ってるんですけど、生徒はどう思ってるんですかね。
帰りに生徒が一人来て、この問題の解釈をしてくれませんか。
解釈をする。
うーん、ま、解釈するっていうのは、通常は理解するっていう意味で使われますけど、ここでは解説する、説明するみたいな意味で使われてますね。
で、できそうもない幾何の問題。
幾何。
これは幾何学のことです。
幾何学...数学の分野ですね。
図形とか空間とかの勉強。
私もよく分かりませんが、幾何学の問題を生徒が持ってきて、これを教えてくださいって迫ったので、冷や汗を流した。
冷汗を流す。
ああ、どうしようって動揺して、焦って冷や汗を流しました。
仕方がないから、なんだかわからない、この次教えてやると急いで引き上げたら、生徒がわあ!と囃した。
なんだかわからないって、坊っちゃんはすごく正直ですね。
生徒がわあっと囃した。
馬鹿にしてわあって囃し立てたんですね。
先生が分からないって言ったから。
さっきまであんなに偉そうに喋ってたのに、質問したら分からないと言ったので、生徒が馬鹿にして笑い者にしています。
その中に「できんできん」という声が聞こえる。
べらぼうめ。
べらぼうも、江戸っ子の言葉かな。バカ野郎みたいな意味です。
べらぼうめ。
先生だってできないのは当たり前だ。
ま、確かにね。
先生でもできないことはありますね。
できないのをできないというのに不思議があるもんか。
そんなものができるくらいなら、四十円でこんな田舎へ来るもんか、と控所へ帰ってきた。
そんなね、難しい問題が解けるぐらい優秀な人だったら、たった四十円の月給でこんな田舎の学校の先生になんかならないよ、ということですね。
すごい、坊っちゃん、逆切れしてますね。
今度は「どうだ?」とまた山嵐が聞いた。
「うん」と言ったが、「うん」だけでは気が済まなかったから、「この学校の生徒は分からずやだな」と言ってやった。
山嵐は妙な顔をしていた。
分からずやっていうのは、分からない人、理解しない人のことです。
次の段落に行きます。
3時間目も4時間目も昼過ぎの1時間も大同小異であった。
これは大きい、同じ、小さい、異なると書いて、大同小異って読むんですけど、どれも同じ、大差ないという意味ですね。
どの授業も同じような感じだった。
最初の日に出た級は、級ってこれクラスのことですね。
いずれも少々ずつ失敗した。
教師ははたで見るほど楽じゃないと思った。
はたで見るほど楽じゃない。
ね、外から見てると先生の仕事なんて楽そうに見えるけど、実際やってみると楽じゃない。
授業は一通り済んだがまだ帰れない。
3時まで、ぽつ然として待ってなくてはならん。
ぽつ然としては、一人寂しくという意味だそうです。
3時になると受け持ち級の生徒が自分の教室を掃除して知らせに来るから、検分をするんだそうだ。
受け持ち級は自分の担当のクラスのことですね。
生徒たちが掃除をして「終わりました」って知らせに来るからそのチェックをしなくちゃいけない。
それから出席簿を一応調べてようやくお暇が出る。
出席簿っていうのは、生徒が出席したか、ちゃんと来てるかどうかっていうのをチェックする紙ですね。
はい。
お暇が出る。
これは休憩のことです。
いくら月給で買われた体だって、空いた時間まで学校へ縛り付けて机とにらめっくらをさせるなんて法があるものか。
はい。
月給で買われた体って面白いですね。
ま、雇われた身ということですね。
にらめっくら。
これはにらめっこのことです。
皆さんにらめっこっていう子供の遊び知ってますか?私もよく子供とやるんですけど。
こんな歌を歌います。
だるまさん、だるまさん、にらめっこしましょ。
笑うと負けよ。
あっぷっぷ。
で、あっぷっぷって言った瞬間、こう2人向き合ってするんですけどね、あっぷっぷの最後のぷの時に変な顔をするんですよ。
で、笑った方が負けっていう遊びがあります。
それ、にらめっこって言います。
で、えっと、なんか多分地域によっても違うのかな。
よくわからないんですけど、元々のにらめっこは変な顔をするんじゃなくて、あっぷっぷで、そのままじっと相手のことを睨む。
じっと相手と目を合わせて、で、先に笑った方が負けとか、先に目をそらした方が負けとか、ま、色々ちょっとルールはいくつかあるみたいなんですけど。
そういう遊びがあります。それをにらめっこって言います。
で、ここは、ここではね、坊ちゃんにらめっこの遊びをしたわけじゃなくて、その遊びのこともにらめっこっていうんですけど、
そこから派生して、何かを真剣にずっと見つめることをにらめっこするって言ったりします。
例えば、例えば1日中スマホとにらめっこするとか。
スマホをずっと見てるってことですね。
あとは、なんか動画の編集のやり方がわからなくって、1日中パソコンの画面とにらめっこする。
そんな風に、にらめっこという言葉、じっと長時間そればっかりずっと見続けているという意味で使います。
で、坊っちゃんは1日中ね、ずっと机とにらめっこをさせられてるっていうことに、すごく不満を抱いているみたいです。
しかし、他の連中はみんなおとなしく、ご規則通りやってるから、新参の俺ばかり駄々をこねるのもよろしくないと思って我慢していた。
他の連中っていうのは他の先生たちのことですね。
同僚の先生たちのことを指しています。
連中っていう言葉は、何人かの人の集まりを指して連中っていうんですけど、あんまり丁寧な言葉ではないですね。
なので、普通は職場の先輩たちを指して使う言葉ではありませんが、坊っちゃんはやっぱりいつもちょっと偉そうですね。
上から目線で新参者、新参、新任の先生なのに、先輩たちのことを指して、あの連中って呼んでます。
みんなね、他の先生たちはおとなしく規則通りに仕事をしてるから、俺ばっかり駄々をこねる、わがままを言うのも良くないだろうなと思って我慢していた。
一応ちょっとここ、坊っちゃんも常識がありますね。
空気を読んでるんですね。
帰りがけに「君、何でもかんでも3時過ぎまで学校にいさせるのは愚かだぜ」と山嵐に訴えたら、山嵐は「そうさ、あははは」と笑ったが、
後から真面目になって、「君、あまり学校の不平を言うといかんぜ。言うなら僕だけに話せ。ずいぶん妙な人もいるからな。」と忠告がましいことを言った。
坊っちゃんはね、3時過ぎまで学校で働かなくちゃいけないことを不満に思っています。
今の感覚で考えると、3時過ぎで仕事が終わるなんていいですけどね。
いい待遇ですけどね。
今時の学校の先生はもっと大変そうですけど。
でも坊っちゃんは不満だったようです。
で、山嵐にいろいろ文句を言っていたんですね。
そしたら山嵐は真面目な顔をして、「あんまりそういうこと言っちゃダメだよ」って。
ね、「僕だけにならいいけど、他の先生には言わない方がいい」って忠告がましいことを言った。
がましい。
これは忠告のようなことを言った。
忠告みたいなことを言ったという意味ですね。
四つ角で別れたから、詳しいことは聞く暇がなかった。
次の段落に行きます。
それから、家へ帰ってくると、宿の亭主がお茶を入れましょうと言ってやってくる。
お茶を入れると言うからご馳走をするのかと思うと、俺の茶を遠慮なく入れて自分が飲むのだ。
この様子では、留守中も勝手に「お茶を入れましょう」を一人で履行しているかもしれない。
履行、これは実行するとか行うという意味ですね。
亭主が言うには、手前は書画骨董が好きで、とうとうこんな商売を内々で始めるようになりました。
そうでしたね。坊っちゃんが今住んでるこの宿の主人は、骨董、アンティークのものとかを集めるのが好きで、そういう商売をしている人でした。
手前というのはこれ、今はおそらく使う人いませんが、自分を指す一人称だそうです。
で、しかも自分のことをちょっと謙遜して言う時に「手前は」と言っていたそうです、昔。
今は言いませんね。
で、えっと、今は逆にこの手前という言葉がちょっと変化して「てめえ」という言葉がありますね。
で、てめえというのは、一人称ではなくて、二人称、相手を指す言葉ですね。
「てめえ」は、お前みたいな感じで、いい言葉ではないので、うん、あんまり使わない方がいいと思います。
例えば、ものすごく怒って、殴り合いの喧嘩をするような時以外は使わない方がいいと思います。
てめえ。
あなたもお見受け申すところをだいぶご風流いらっしゃるらしい。
すごく丁寧な言葉を使いますね。お見受け申すところ、見たところ、見た感じだと、とっても風流。
風流っていうのは、すごく上品で洗練されている人。
趣味とか思考がすごく洗練された人のことを、風流がある。
うーん...今使うことはほとんどないと思いますけど、そういう言葉があります。
坊っちゃんのことをね、すごく褒めてますね。この主人はね。
はい。宿の主人は坊っちゃんのことを褒めています。
ちと道楽に、お始めなすってはいかがです?と、とんでもない勧誘をやる。
坊っちゃんをこう褒めて、煽て、この骨董のね、商売をやってみませんか?って勧誘してるんですね。
ちと道楽に、道楽にというのは、ま、楽しみとして。
今で言う趣味として、ちょっと趣味としてやってみませんか?っていう感じですね。
2年前ある人の使いに帝国ホテルへ行った時は、錠前直しと間違えられたことがある。
坊っちゃんが2年前にある人に頼まれて、お使いで、帝国ホテルっていうのは東京にある高級なホテルです。
そこに行った時は、錠前直し、鍵を直す仕事の人と間違えられたことがある。
ケットをかぶって。
このケットというのは、私初めて聞きましたが、調べてみたら毛布のことです。
ブランケットのケットから来てるのか、ちょっとよく分かりませんけど。
毛布をかぶって鎌倉の大仏を見物した時は、車屋から「親方!」と言われた。
はい、車屋っていうのは今の車屋さんではなくて、ここでは人力車。
人力車ってわかりますか?
京都とか観光地に行くとありますね。人を乗せてこう引っ張って走ってくれる人力車を引く人ですね。
人力車を引く人から「親方!」って言われた。
親方っていうのは、弟子とかがいるような、偉い人のことを親方って言います。
例えば相撲の親方、相撲部屋の一番偉い人を親方って言ったり、あとは大工さんとかね。
大工さんの仲間たちの中で一番トップの人のことを親方って言ったりしますね。
人力車を引く人から親方って間違えられて「親方」と言われた。
その他今日までみそくなわれたことは随分あるが、まだ俺をつらまえて「だいぶご風流でいらっしゃる」といったものはない。
はい。
こんな風にね。
鍵屋さんと間違えられたり、親方って言われたり、見損なわれた、これ「みそくなわれた」って書いてますけど「みそこなわれた」ですね。
下に見られたことはたくさんあるけど、未だかつてこんな俺を捕まえて、ご風流な人だ、ね、上品で洗練された趣味の人って言った人は一人もいない。
初めて言われた。
大抵はなりや様子でもわかる。
だいたい、普通は身なり、服装とか様子、雰囲気でも分かるだろうと。
風流人なんていうものは、絵を見ても頭巾を被るか短冊を持ってるものだ。
うんうん、ちょっとこの辺色々難しいですけど、頭巾を被ってね、短冊...短冊ってなんか俳句とかを書くような細長い紙のことですね。
そういうのを持ってるような人を風流人って言うんだと。
この俺を風流人だなどと真面目に言うのはただの曲者じゃない。
曲者。ちょっと癖のある人。
変わった人ってことですね。
俺はそんなのんきな隠居のやるようなことは嫌いだと言ったら、亭主はへへへへと笑いながら
「いえ、初めから好きなものはどなたもございませんが、一旦この道に入るとなかなか出られません」と一人で茶を注いで妙な手つきをして飲んでいる。
隠居っていうのは、何だろう、もう仕事とかを辞めて、ゆっくり静かに暮らす。
だから老後の生活みたいな感じですね。
そんな骨董とかね、そんな商売は隠居した人がやるようなことだと。
そんなのは俺は興味はないって言ってますね。
実は夕べ茶を買ってくれと頼んでおいたのだが、こんな苦い濃い茶は嫌だ。一杯飲むと胃に堪えるような気がする。
昨晩、宿の亭主にお茶を買ってきてもらったら、苦くてすごく濃いお茶で、一杯飲むと胃に堪える。
胃に、胃に悪いような気がする。
今度からもっと苦くないのを買ってくれと言ったら、「かしこまりました」と、また一杯絞って飲んだ。
人の茶だと思ってむやみに飲むやつだ。
主人が引き下がってから、明日の下読みをしてすぐ寝てしまった。
下読み。これはあらかじめ読んでおくということですね。
明日の授業の教科書に目を通しておいたっていうことですね。
この「下」は「下〇〇」っていうと、あらかじめやっておくというような意味になります。例えば他にも、下調べする。
旅行に行く前に下調べしておくとか、下書きする。
例えば絵を、絵の具で絵を書く前に、鉛筆で薄く下書きをするとか。
そんな風に下〇〇って言うと、ちょっと準備としてね、やっておくっていう意味があります。
すいません。ちょっと今半分切れちゃってましたけど。今読んだとこ、ここです。
はい。
次の段落に行きます。
それから毎日毎日学校へ出ては規則通り働く。
毎日毎日帰ってくると、主人がお茶を入れましょうと出てくる。
1週間ばかりしたら学校の様子も一通りは飲み込めたし、理解できたし、宿の夫婦の人物も大概は分かった。
他の教師に聞いてみると、辞令を受けて1週間から1ヶ月ぐらいの間は、
自分の評判がいいだろうか、悪いだろうか、非常に気にかかるそうであるが、俺は一向そんな感じはなかった。
すごい坊っちゃんはメンタルが強い人ですね。
普通はね、新しい職場に行って最初しばらくは、周りからの評価が気になったりするものだけど、坊っちゃんはそんなの一切気にしないそうです。
とてもメンタルが強いですね。
私はすぐに人の評価を気にしちゃうタイプなので、逆に羨ましいくらいです。
教場で折々、時々しくじると、その時だけは嫌な心持ちだが、30分ばかり経つと綺麗に消えてしまう。
いいですね。
羨ましいですね。
しくじるっていうのは、失敗するってことですね。失敗してもすぐ忘れちゃう性格なんだそうです。
俺は何事によらず長く心配しようと思っても心配ができない男だ。
教場のしくじりが生徒にどんな影響を与えて、その影響が校長や教頭にどんな反応を呈するか、まるで無頓着であった。
無頓着。
これ「むとんじゃく」って書いてますけど通常「むとんちゃく」と読みます。
無頓着っていうのは、気にしない、無関心ってことですね。
はい。教室で失敗しても、それが生徒にどんな影響があるのか、校長や教頭にどんな反応をされるのか、そんなの全然気にしなかった。
俺は前に言う通り、あまり度胸の座った男ではないがないのだが、思い切りはすこぶるいい人間であるうん、度胸はない。
勇気はないし、すぐ動揺しちゃうけど、思いっきりはすごくいい。
思い切りがいい人って言ったら決断力がありますね。決断力。
よしやる!って決めたら、やる!みたいな。
うん。
坊ちゃんは思い切りがいいと自分で言ってます。
この学校がいけなければすぐどっかへ行く覚悟でいたから、狸も赤シャツもちっとも恐ろしくはなかった。
坊っちゃんは思い切りがいいからね、この学校がダメだったら、別に他の学校に行けばいいし、そのつもりでいたから、別に校長も教頭も全然恐ろしくなかったと。
まして教場の小僧どもなんかには愛嬌もお世辞も使う気になれなかった。
愛嬌もお世辞も使う気になれなかったので、別に生徒たちにね、気に入らなくてもいいやって気に入られようとも思ってなかった。
学校はそれでいいのだが、下宿の方はそうはいかなかった。
亭主が茶を飲みに来るだけなら我慢もするが、色々なものを持ってくる、この者、
普通、この者という字は人を指す時に使いますけど、これは人じゃなくて普通の物ですね。
初めに持ってきたのは何でも印材で、十ばかり並べておいて、みんなで三円なら安いものだ。
お買いなさいと言う。
印材というのは、ハンコを作る材料です。
それを並べて三円だよ。これ全部で三円だよ。
安いから買いなって。
田舎巡りのヘボ絵師じゃあるまいし、そんなものはいらないと言ったら、今度は華山とかなんとかいう男の花鳥の掛け物を持ってきた。
うん、田舎巡りのヘボ絵師。
めちゃくちゃ馬鹿にしてますね。
田舎まわりってことは、田舎をまわって絵を売ってるような、ヘボい、ヘボいっていうのは下手な腕の悪い、二流三流の画家じゃないんだから、そんなものいらない。
って言ったら今度は華山、ね、華山っていうのは私知らなかったんですが、画家の名前だそうです。昔の画家の名前です。
花鳥というのは、花鳥画っていう絵のジャンルがあるそうで、草花とかね、鳥の絵を描くジャンルがあるんだそうです。
その絵の掛け物。
掛け軸ってわかりますか?
掛け軸ってこう、縦長のね、絵とか書道が書かれたもので、昔の日本の家の和室に飾ってあったようなものを掛け軸、もしくは掛け物と言います。
はい。それを持ってきて、自分で、その亭主自ら坊っちゃんの部屋の床の間にかけて「いい出来じゃありませんか」と言うから
「そうかな」といい加減に挨拶をすると、華山には2人ある。
華山という画家は2人いる。
1人はなんとか華山で1人は何とか華山ですが、この幅、この幅というのは掛け軸のことだそうです。
はい、この掛け軸はそのなんとか華山の方だと。
下らない、どうでもいい、面白くない講釈をした後で、「どうです?あなたなら十五円にしておきます。お買いなさい。」と催促をする。
催促するっていうのは2回も3回も何度もお願いをすることですね。
「金がない」と断ると、金なんかいつでもようございます、いつでもいいですよ、となかなか頑固だ。
金があっても買わないんだと、その時は追っ払っちまった。
その次には鬼瓦ぐらいな大硯を担ぎ込んだ。
はい、ここもちょっと説明が必要ですね。
鬼瓦っていうのは、昔の日本の家、日本家屋の屋根は瓦でできています。
瓦。
で、えっと、屋根の端っこのところについている飾りの瓦のことを鬼瓦って言います。
それぐらいの大きさの大硯。
硯は、書道をする時、墨を入れるもののことを硯と言います。
鬼瓦ぐらいの大きな硯を担ぎ込んできた。
これは端渓です、端渓です、と二遍も三遍も、ね、二度も三度も端渓がるから。
端渓だ端渓だと言い張るから、主張するから、面白半分に「端渓ったあ何だい?」「端渓って何?」と聞いたらすぐ講釈を始め出した。
また説明を始めた。
端渓っていうのはどうやら中国にある地名らしいんですけど、この端渓という場所で採れた石を使って作った硯っていうのがすごく有名で、最高級品なんだそうです。
ま、当時は有名だったのかな。
ちょっと分かりませんが。
なので、この亭主はこれ端渓ですよ、端渓ですよって。
あの端渓ですよってずっと言ってくると。
で、またその講釈を始めたんですね。
端渓には上層中層下層って3つのレベルがあって、眼が3つあるのは珍しい。
眼はなんか石にある、石にできてる模様のことを言うらしいです。
溌墨の具合も至極よろしい。
試してご覧なさいと、俺の前へ大きな硯を突きつける。
溌墨、この墨っていうのは、墨ですね。
墨の色が綺麗に出るという意味だと思います、この硯を使うと。
墨の具合がね、いいですよと。
書いた時の墨の発色がいいですよと。
いくらだと聞くと、持ち主が支那から持って帰ってきて是非売りたいと言いますから、お安くして三十円にしておきましょうと言う。
支那というのは中国のことです。
この男はバカに相違ない。
バカに違いない。
学校の方はどうかこうか無事に務まりそうだが、こう骨董責めにあってはとても長く続きそうにない。
そのうち学校も嫌になった。
ある日の晩、大町というところを散歩していたら、郵便局の隣に蕎麦と書いて、下に東京と注を加えた、注意書きをした看板があった。
俺は蕎麦が大好きである。
東京におった時でも、蕎麦屋の前を通って薬味の匂いを嗅ぐと、どうしても暖簾がくぐりたくなった。
薬味っていうのは、からしとかわさびとか、そういうのを薬味って言いますね。
暖簾をくぐるというのは、暖簾っていうのはお店の扉のところにこうぶら下がっている布。
暖簾をくぐるというのは、お店に入るという意味です。
今日までは数学と骨董で蕎麦を忘れていたが、こうして看板を見ると素通りができなくなる。
黙って通り過ぎることはできない。
ついでだから一杯食っていこうと思って上がり込んだ。
見ると看板ほどでもない。
東京と断る以上はもう少し綺麗にしそうなものだが、東京を知らないのか、金がないのか、めっぽう汚い。
はい、また坊っちゃんの文句が始まりました。
畳は色が変わって、おまけに砂でざらざらしている。
おまけにっていうのは、その上、みたいな感じですね。
壁は煤で真っ黒だ。
天井はランプの油烟、油でくすぼってるのみか、低くって思わず首を縮めるくらいだ。
天井が低くて首を縮めないと入れないくらい。
ただ麗々と、麗々というのは、これ「うるわしい」と読みますけど、この字。
なんか派手で目立つ様子のことです。
蕎麦の名前を書いて貼り付けた値段付けだけは全く新しい。
値段付け、料金表だけは新しい。
何でも古い家を買って2、3日前から開業したに違いなかろう。
値段付けの第一号に、一番最初に天麩羅とある。
「おい、天麩羅を持ってこい!」と大きな声を出した。
するとこの時まで隅の方に3人固まって何かつるつる、ちゅうちゅう食ってた連中が等しく俺の方を見た。
部屋が暗いのでちょっと気づかなかったが、顔を合わせるとみんな学校の生徒である。
先方で、あちら側が挨拶をしたから、俺も挨拶をした。
その晩は久しぶりに蕎麦を食ったので、うまかったから天麩羅をを4杯平らげた。
4杯全部食べてしまった。
次の段落です。
翌日、何の気もなく教場へ入ると、黒板いっぱいぐらいな大きな字で天麩羅先生と書いてある。
俺の顔を見てみんなわあと笑った。
俺はバカバカしいから、天麩羅を食っちゃおかしいかと聞いた。
すると、生徒の一人が「しかし4杯は過ぎるぞな、もし」と言った。
4杯はいくら何でも食べ過ぎだと言っています。
4杯食おうが5杯食おうが、俺の銭で俺が食うのに文句があるもんかと、さっさと講義を済まして控え場へ帰ってきた。
確かにそうですね。
うん。
銭っていうのはね、お金のことです。
自分が稼いだお金で何杯食おうと俺の勝手だろ。
10分経って次の教場へ出ると、「一つ、天ぷら4杯なり。ただし笑うべからず」と黒板に書いてある。
天麩羅4杯。
ただし、笑っちゃいけない。
さっきは別に腹も立たなかったが、今度は癪に触った。
今度はちょっと腹が立った。
うん。さっきもちょっと腹を立ててたような気もしますけどね。
冗談も度を過ごせばいたずらだ。
度を越せばいたずらだ。
焼き餅の黒焦げのようなもので、誰も褒め手はない。
これもちょっと例え話ですね。
冗談も度を過ぎたらいたずらだ。
餅をね、焼いた時に、焼き餅が焼きすぎて黒焦げになっちゃったら、誰もね、褒める人はいない。
それと同じことだと。
田舎者はこの呼吸が分からないから、どこまで押していっても構わないという了見だろう。
はい、また田舎者と馬鹿にしてますね。
田舎者は呼吸が分からない。
これは、ま、一般的な表現で言うと、加減がわからない。
どこまでが冗談として許されて、どこからが許されないいたずらなのかが、こいつらは分かってない。
1時間歩くと見物する町もないような狭い都に住んで外に何にも芸がないから、天麩羅事件を日露戦争のように触れ散らかすんだろう。
面白いですね、表現が。
もうね、田舎すぎて何にもない町だから、何も楽しみがないから、たかがこの先生が、坊っちゃん先生が天麩羅を4杯食べたっていうね、
どうでもいい小さな出来事を、もうまるで日露戦争でも起きたように、日露戦争って本当に昔あった日本とロシアの戦争です。
そんな大事件が起きたかのように大騒ぎしている哀れなやつらだ。
かわいそうな奴らだ。
子供の時からこんなに教育されるから、嫌にひねっこびた、植木鉢の楓みたいな小人ができるんだ。
はい、ここもちょっとなんか色々例えが、比喩が使われていて理解が難しいんですけど。
ま、この子たち、この生徒たちのことを、子供の時からね、こんな色々教育を受けて勉強させられてるから嫌にひねっこびた、
ひねっこびたというのは、ませたみたいな意味だそうです。ませるっていうのは、子供のくせにちょっと大人びている。
まだ子供なのにませた大人みたいな考えをしたり、大人みたいな振る舞いをすることをませた子、ませているって言いますね。
そんな植木鉢の楓みたいな小人、子供ができる。
植木鉢の楓。
楓というのは木です。
木は普通、土に根を張って高く育ちますよね。
でも、植木鉢に入れられたら、大きくなれませんね。
そんな風にこの子供たちはまるでね、植木鉢に入れられた楓みたいに大きく立派に育てないんだと言っています。
無邪気なら一緒に笑ってもいいが、無邪気、子供らしく無邪気にいたずらをしているなら一緒に笑ってもいいが、こりゃなんだ。
子供のくせに乙に毒気を持っている。
子供の子という字、ま、ちょっと現代とは書き方が違いますね。
子供のくせに、子供なのに、乙に、これは調べたんですが、えっとね、変に、嫌にみたいな意味だそうです。
で、これは「どっき」って読んだり「どっけ」って読んだりするらしいんですけど、悪意があるとか悪気がある。
だから子供らしく無邪気にね、楽しくいたずらをしてるんじゃなくて、すごく嫌な感じで悪意を持ってやってくる。
だから坊っちゃんは怒ってるんですね。
俺は黙って天麩羅を消して、「こんないたずらが面白いか?卑怯な冗談だ。君らは卑怯という意味を知ってるか?」と言ったら、
「自分がしたことを笑われて怒るのが卑怯じゃろうがな、もし」と答えたやつがある。
卑怯な冗談だって坊ちゃんが怒ってるんだけど、一人の生徒が自分が天麩羅食べてそのことを笑われてるのに、
なんで怒るんだ、なんで逆切れするんだって。そっちの方が卑怯だろうって言ってますね。
嫌なやつだ。
わざわざ東京からこんなやつを教えに来たのかと思ったら情けなくなった。
余計な減らず口を聞かないで勉強しろと言って授業を始めてしまった。
減らず口というのは、減らず口を聞くとか減らず口を「叩く」の方が多分一般的だと思うんですけど、屁理屈を言うみたいな意味ですね。
それから次の教場へ出たら、「天麩羅を食うと減らず口が聞きたくなるものなり」と書いてある。
どうも始末におえない。
聞きたくなるものなり。
「なり」っていうのは、昔の言葉で「なるものだ」という意味ですね。
はい。
あの、坊っちゃんは、えっと、毎回、毎時間同じ子達を教えてるわけじゃなくて、
多分1時間目はこのクラス、2時間目はこのクラスっていう風に毎時間違う生徒を教えてるわけですよね。
でも、さっきのクラスで起きた出来事がもう次のクラスにこの休み時間の間に伝わって、またこっちのクラスでも笑い者にされてる。
学校全体の生徒たちから坊っちゃんはちょっとからかわれてるというか、いじられてますね。
あんまり腹が立ったから、そんな生意気なやつは教えないと言ってスタスタ帰ってきてやった。
授業を放棄したんですね、先生が。
そしたら生徒は休みになって喜んだそうだ。
こうなると学校より骨董の方がまだまし。
さっきはね、学校にはもう慣れたけど、宿に帰って宿の主人から骨董の話ばっかりされるのがもう辛い、嫌だって文句を言ってましたけど、
今度は学校よりも骨董の方がまだまし、学校の方が嫌だと言ってますね。
はい。
次の段落です。
天麩羅蕎麦も家へ帰って一晩寝たらそんなに癇癪に触らなくなった。
はい。坊っちゃんは嫌なことはすぐ忘れてしまう性格なので、天麩羅事件も一晩寝たらもうそんなに腹立たしくなくなったそうです。
学校へ出てみると生徒も出ている。
何だか訳が分からない。
それから3日ばかりは無事であったが、4日目の晩に住田というところへ行って団子を食った。
この住田というところは温泉のある街で、城下から汽車だと10分ばかり、歩いて30分で行かれる。
料理屋も温泉宿も公園もある上に遊郭がある。
遊郭っていうのは、うーんとですね、今はもうないんですが、簡単に言うとなんだろう?今で言う性風俗のお店みたいなのが集まってるエリアのことですね。
遊女、ね、この遊ぶという字に女と書いて遊女って言われる、今で言うと売春婦?
売春をする女性。
お金をもらって性サービスをする女性ですね。
を、昔遊女って呼んでいたそうなんですけど、その遊女がみんなで住む宿とか、
あとは遊女がお客さんを取って売春をする場所が、集まってるエリアを遊郭と言っていました。
今はもちろんもう廃止されていますけど、昔の時代には、幕府公認でね、幕府が認めて、
そういう場所を作って遊女たちをそこに集めて、遊郭と呼ばれる場所に集めて、幕府公認で売春が行われていました。
その場所のことを遊郭って言います。
坊っちゃんは遊郭に行ったとは書いてないんですが、そのエリアにある団子屋さんに行ったんですね。
俺の入った団子屋は遊郭の入り口にあって大変うまいという評判だから、温泉に行った帰りがけにちょっと食ってみた。
これはこの住田、ここでは住田っていう場所って言ってますけど、この坊ちゃんの舞台になった愛媛県には、道後温泉っていう本当に有名な温泉地があって、
そこには本当に団子屋さんがあって、坊っちゃん団子っていう名前で売られてるそうですよ。
はい。
次、ここですね。
今度は生徒にも会わなかったから誰も知るまいと思って、翌日学校へ行って1時間目の教場へ入ると、団子二皿七銭と書いてある。
また誰かに見られてますね、坊っちゃん。
実際、俺は二皿食って七銭払った。
どうも厄介な奴らだ。
2時間目にもきっと何かあると思うと、遊郭の団子うまいうまいと書いてある。
呆れ返った奴らだ。
呆れ返ったも厄介もどっちも、困った、困ったやつらだという意味ですね。
団子がそれで済んだと思ったら、今度は赤手ぬぐいというのが評判になった。
手ぬぐいっていうのはタオルのことです。
何のことだと思ったら、つまらない来歴だ。
来歴は由来のことです。
つまらない由来だ。
俺はここへ来てから毎日、住田の温泉へ行くことに決めている。
他のところは何を見ても東京の足元にも及ばないが、温泉だけは立派なものだ。
足元にも及ばないって言うと、東京と比べたらもう全然ランクが下。
東京と比べるとものすごく劣っている。
全然比べ物にもならないっていう感じですね。
でも、他のものはね、もう全部東京と比べると全然ダメでしょぼいんだけど、温泉だけは立派だと。
ここは温泉だけは素晴らしいと褒めています。
せっかく来たものだから毎日入ってやろうという気で、晩飯前に運動方々出かける。
これは運動がてら、ね、運動ついでに出かける。
ところが行く時は必ず西洋手ぬぐいの大きなやつをぶら下げていく。
西洋手ぬぐい。
今こんな言い方しませんが、西洋風の、ヨーロッパ風の手ぬぐいなのでタオルですね。
はい。
大きなのをぶら下げて持っていく。
この手ぬぐいが湯に染まった上へ赤い縞が流れ出したので、ちょっと見ると紅色に見える。
そのタオルがお湯に浸かると、こう赤くね、見えるんだそうです。
で、俺はこの手ぬぐいを、行きも帰りも汽車に乗っても歩いても常にぶら下げている。
ぶら下げている。
持ってるってことですね。
それで生徒が俺のことを赤手ぬぐい赤手ぬぐいと言うんだそうだ。
第2章では、坊っちゃんが先生たちに色々あだ名をつけてましたね。赤シャツとか狸とか。
でも、今度は逆に坊っちゃんが生徒たちにからかわれて、赤手ぬぐいとあだ名を付けられています。
どうも狭い土地に住んでるとうるさいものだ。
まだある。
温泉は3階の新築で、上等は浴衣を貸して流しをつけて八銭で済む。
坊っちゃんが行っている温泉は、これ上等っていうのは、おそらくいくつかプランというか、料金設定があるんだと思います。
で、坊っちゃんはいつも上等というものを選んでいるんだけど、それは浴衣を貸してくれて、
流し、これはですね、調べてみたところ、昔、今はないんですけど、昔は温泉に行くと体を洗ってくれるサービスをしてくれる人がいたんだそうです。
この上等には流しのサービス、体を洗ってくれるサービスもついてた。
それで八銭だったと。
その上に女が天目へ茶を乗せて出す。
天目っていうのはお茶碗の種類だそうです。
お茶碗に茶を、お茶を入れて出してくれると。
それで八銭だと。
俺はいつでも上等へ入った。
すると四十円の月給で毎日上等へ入るのは贅沢だと言い出した。
確かにね、毎日1ヶ月30日もし行ったら、30×8だから240銭ですよね。
240銭って円に直すと24円です。
10銭が1円なので40円しか月給もらってないのに、そのうち24円を毎月温泉代に使うのは確かにちょっと贅沢ですね。
他の食費とかね、宿のお金とかどうしてたんでしょうね。
でも坊っちゃんはこう言ってます。
余計なお世話だ。
まだある。
湯壺は、湯壺って温泉のその浸かる浴槽のことですね。
はい。
入る浴槽のことを湯壺って言っていたそうです。
湯壺は、花崗岩という石の種類ですね、を畳みあげて、十五畳敷ぐらいの広さに仕切ってある。
大抵はその十五畳の広さのお風呂に十三、四人浸かってるが、たまには誰もいないことがある。
深さは立って乳のあたりまであるから、胸のあたりまでっていうことですね。
あるから、運動のために湯の中を泳ぐのはなかなか愉快だ。
楽しい。
本当は温泉で泳いじゃいけませんけど、坊っちゃんは人がいない時に泳いでいたんですね。
俺は人のいないのをみすましては、みすます。
うーん、なんだろう。
見計らう。
見計らうという表現が自然だと思います。
人がいないのを見計らって、よし、今がチャンスだっていう時に、十五畳の浴槽を泳ぎ回って喜んでいた。
ところが、ある日、3階から威勢よく降りて、勢いよく降りて、今日も泳げるかなとざくろ口、これは出入り口のことだと思います。
出入り口を覗いてみると、大きな札へ、ね、こうなんか、なんだろう、張り紙みたいなのがあって、そこに黒々と「湯の中で泳ぐべからず」と書いて貼り付けてある。
湯の中で泳ぐべからずというのは、泳いではいけません。
湯の中で泳ぐものはあまりあるまいから、ね、お湯の中で泳ぐ人なんてあまりいないだろうから、この貼札は俺のために特別に新調したものかもしれない。
俺のために特別に用意されたものかもしれないと。
俺はそれから泳ぐのは断念した。
泳ぐのは断念したが、学校へ出てみると例の通り黒板に「湯の中で泳ぐべからず」と書いてあるには驚いた。
また誰かに見られてたんですね。
なんだか生徒全体が俺1人を探偵しているように思われた。
くさくさした。
くさくさするは、むしゃくしゃする、腹が立つ、苛立つという意味だそうです。
生徒が何を言ったってやろうと思ったことをやめるような俺ではないが、なんでこんな狭苦しい鼻の先がつかえるようなところへ来たのかと思うと情けなくなった。
鼻の先が使える。これもちょっと例えを使ってますね。
比喩ですね。
鼻の先がつかえるっていうのは、つっかえて通れないとか、つかえてしまってこう前に進めなくなるぐらい、
それぐらい狭苦しい、居心地の悪い場所ということを言いたいんですね。
それで家へ帰ると、相変わらず骨董責めである。
はい、ここまでです。
第3章、ここで終わりです。
ま、ほぼ愛媛のこの田舎とか生徒たちとか下宿先の骨董好きの主人への坊っちゃんの愚痴で第3章が終わりました。
はい、ということで、今日はここまでです。
また続きを楽しみにしててくださいね。
今日はこれでおしまい!またね。