
こんにちは。
坊っちゃんの第10章を読んでいきます。
祝勝会で学校はお休みだ。
祝勝会というのは、何かに勝った時のお祝いの会ですね。
で、おそらくなんですが、坊っちゃんという作品が発表されたのが1906年で、
その前の年1904年から1905年に日露戦争、日本とロシアの戦争があったんですね。
で、それに日本が勝利した頃に書かれたお話なので、おそらくこの祝勝会っていうのは、日露戦争の祝勝会だと思われます。
練兵場で式があるというので、狸は生徒を引率して参列しなくてはならない。
練兵場というのは、これも漢字を見るとなんとなく想像できると思うんですが、兵隊さん、戦争に行く兵隊さんが練習をする場所だそうです。
そこで、その祝勝会の式典があるので、校長先生は生徒たちを引率して、生徒を連れて式に出なくてはいけない。
俺も職員の一人として一緒にくっついていくんだ。
町へ出ると日の丸だらけで、日の丸というのは日本の国旗ですね。
まぼしいくらいである。
まぼしいは、眩しいのことだと思います。
眩しいくらいにたくさん日の丸があったんですね。
学校の生徒は800人もある、いるのだから、体操の教師が隊伍を整えて
一組一組の間を少しずつ開けて、それへ職員が一人か二人ずつ監督として割り込む仕掛けである。
この隊伍は隊列、ま、よく軍隊の人とかがこう、列を作りますよね。
みんなでこう、ピシッと並んで列を作って動きますよね。
そのことを言っています。
そんな風に列を作って綺麗に並んで、で、職員、先生が各クラスに一人二人ついて一緒に歩いていったんでしょうね。
仕掛けだけはすこぶる巧妙なものだが、実際はすこぶる不手際である。
すごくね、上手くこう、考えてあるけれども、でも実際にはうまくいってないということですね。
生徒は子供の上に生意気で、規律を破らなくっては生徒の体面に関わると思ってる奴らだから、
職員が幾人ついて行ったって何の役に立つもんか。
生徒たちは十何歳とかですよね。
中学生なので。
だからすごく生意気で、大人の言うことを聞かない。
ルールを破らないとかっこ悪いと思ってる。
そんな奴らだから、職員が何人かついていっても全然役に立たない。
全然言うことを聞かない。
命令も下さないのに勝手な軍歌を歌ったり、軍歌をやめるとわぁーっとわけもないのに鬨の声をあげたり、まるで浪人が町内を練り歩いているようなものだ。
歌いなさいって言ってもないのに、勝手に歌を歌ったり、わあって騒いだりしてると。
浪人っていうのは、今、浪人っていうと、普通よく使われるのは、大学受験をしたけれども、
希望の大学に合格できなかった、入学できなかったので、一年間、次の年の大学入試に向けて勉強をすること。
それを浪人、浪人するって言ったり、そういう生徒たちを浪人生って言ったりするんですけど、
ここでいう浪人っていうのはその意味ではなくって、ふらふらしてる人、なんか仕事とかもなく、家もなくふらふらとしてる人のことを言っています。
軍歌も鬨の声もあげない時はガヤガヤ何か喋ってる。
喋らないでも歩けそうなもんだが、日本人は皆、口から先へ生まれるのだから、いくら小言を言ったって聞きっこない。
口から先に生まれるっていうのは、よく喋る、口数が多い、口が達者な人のことです。
日本人はみんな口数が多いから...そうなんですかね?
いくら小言を言ったって聞きっこない。
小言っていうのは、なんか叱る時に先生とか親とかがずっとぐちぐち文句を言う、それを小言って言います。
私も毎日、子供たちに小言を言ってます。
喋るのもただ喋るのではない。
教師の悪口を喋るんだから下等だ。
下等っていうのは劣ってるってことですね。
俺は宿直事件で生徒を謝罪さして、まあこれならよかろうと思っていた。
ところが実際は大違いである。
坊っちゃんは宿直の時に、生徒たちがなんか虫を布団の中に入れて坊っちゃんを驚かしたりとかした事件がありましたね。
その後生徒に謝罪させました。
で、よし、よかろう、いいだろうって思ってたけど、実際は大違いである。
下宿の婆さんの言葉を借りて言えば、まさに大違いの勘五郎である。
生徒が謝ったのは、真から後悔して謝ったのではない。
ただ、校長から命令されて形式的に頭を下げたのである。
形式的にというのは、もう形だけ、本当に心からそう思ってるんじゃなくて、ま、一応形として謝ったという事実だけ作ったっていう感じですね。
商人が頭ばかり下げて、ずるいことをやめないのと一般で。
これ、一般でっていうのは、「同じで」という意味で使われていると思います。
商人が頭ばかり下げてずるいことをやめないのと同じで、生徒も謝罪だけはするが、いたずらは決して辞めるものでない。
よく考えてみると、世の中はみんなこの生徒のようなものから成立しているかもしれない。
世の中というのは、この生徒たちみたいな人たちで構成されている、成り立っているのかもしれない。
ま、そんな人ばっかりなんだろうってことですね。
人が謝ったり詫びたりするのを、詫びるは反省して謝ることです。
真面目に受けて勘弁するのは正直すぎるバカと言うんだろう。
真面目に受け取って勘弁する、許すのは正直すぎる馬鹿だ。
そういうことなんだろう。
謝るのも仮に謝るので、勘弁するのも仮に勘弁するのだと思ってれば、差し支えない。
ま、仮にっていうのは、本当にではなくて、ま、とりあえずっていうことですね。
だからとりあえず謝って、謝る方もとりあえず謝って、許す方も、ま、とりあえず許しておくのだと思ってれば差し支えない。
もし本当に謝らせる気なら、本当に後悔するまで叩きつけなくてはいけない。
本当にしなければよかったって後悔するぐらいまで叩きつける。
だから暴力を振ったりとかしなくてはいけない。
そうでもしないと本気では反省しないし、本気では謝らないんだなっていうことを言っています。
俺が組と組、クラスですね。
組と組の間に入っていくと、天麩羅だの団子だのという声が絶えずする。
天麩羅も団子もここに赴任してきてすぐの頃、坊っちゃんが食べているところを生徒に目撃されて馬鹿にされたものですよね。
しかも大勢だから誰が言うのだか分からない。
よし、分かっても。
ここ、よしというのは、もしという意味で使われていると思います。
もし分かっても、俺のことを天麩羅と言ったんじゃありません。
団子と申したのじゃありません。
それは先生が神経衰弱だから、ひがんでそう聞くんだぐらい言うに決まってる。
神経衰弱。
ま、これは神経が衰弱している、精神的に弱っているっていう意味ですよね。
でも今この言葉を聞くと、どっちかというと、私はカードゲームの神経衰弱を思い浮かべます。
神経衰弱っていうカードゲームは、トランプのゲームですね。
トランプを全部こう、裏向きにして並べて、で2枚開いてペアを探していくっていうゲーム。
それを神経衰弱っていうんですけど、なんかどっちかというと、そのゲームの方を思い浮かべてしまいますね、これを見ると。
でも、まぁもともとは神経が弱っている、精神的に弱っているという意味で、ここではでも、被害妄想みたいな意味で使われてると思います。
被害妄想というのは、被害に合っていると妄想する、思い込むことです。
例えば、ああ、あの人私のこと嫌いだからこんなことするんだとか。
あの人、私のこと絶対こんな風に悪く思ってるに違いない、みたいに思い込むこと。
被害妄想って言います。
だから、先生が、坊っちゃん先生が被害妄想だから、ひがんで、ひがむっていうのは相手をずるいって思い込む。
ま、妬むとちょっと似てるかもしれませんね。
ひがんで、別に先生の話をして天麩羅とか団子とか言ったんじゃないのに、先生の思い込みですよ。
先生が被害妄想だからそうやって聞こえるんですよ、みたいなことを言うに決まってる。
こんな卑劣な根性は、封建時代から養成したこの土地の習慣なんだから、いくら言って聞かせたって教えてやったって到底治りっこない。
はい、また、ね、坊っちゃんのちょっとこの田舎のこの土地の人たちを馬鹿にする言葉が出てきました。
封建時代、これはちょっと歴史の話になるので、私もちょっと難しいんですけど、
封建制度というのが、土地を介して結ばれた主従関係に基づく社会のシステムだそうです。
その封建制度が行われていた時代で、日本では鎌倉時代から江戸時代までが封建時代だったそうです。
ちなみにヨーロッパでは8世紀から15世紀頃まで封建時代だったと書いてあります。
そんな昔の時代から、ここの土地の人間はそういう卑劣な根性、悪い性格が根付いているから、だから、もういくら言っても到底治らない。
ね、封建時代からずっと続いているこの土地の人たちの習慣なので、坊っちゃんが何を言ってもどうせ治らない。
こんな土地に1年もいると、潔白な俺もこの真似をしなければならなくなるかもしれない。
向こうでうまく見抜けられるような手段で俺の顔を汚すのを放っておく樗蒲一はない。
樗蒲一っていうのは、ここでは嫌なやつっていう意味だそうです。
顔を汚すは、顔に泥を塗るとかいう言い方もあるんですけど、名誉を傷つけるとか恥をかかせるという意味です。
なのでここは簡単に言うと、坊っちゃんも1年もこの土地にいると、松山にいると、元々はいい人だった自分も嫌なやつにならなくちゃいけなくなるかもしれない。
向こうが「いや、天麩羅とか団子って先生のことじゃありませんよ」みたいにうまく言い抜けて
坊っちゃんに恥をかかせるのを放っておくそのままにしていくわけにはいかない。
向こうが人なら俺も人だ。
生徒だって子供だって図体は俺より大きいや。
図体は体のことですね。
だから刑罰として、罰として何か返報してやらなくては義理が悪い。
ま、これは仕返しのことですね。
何か嫌なことをされたら、仕返ししてやらなくちゃいけない。
ところが、こっちから仕返しをする時分に尋常の手段でいくと、普通の当たり前のやり方で仕返しをすると、向こうから逆捩を食わしてくる。
あっちがなんかやってきて、普通のやり方で仕返ししようとすると、逆にまたやり返されるってことですね。
貴様が悪いからだというと、初手かな...初手から逃げ道が作ってあることだから滔々と弁じ立てる。
最初から言い逃れできるように、責められても「いやいや、違いますよ。そういう意味じゃありませんよ。」って
言い逃れする逃げ道を作っているから、滔々と淀みなく次から次に言葉が出てくる。
弁じ立てておいて自分の方を表向きだけ立派にして、それからこっちの非を攻撃する。
ま、見た目だけ、表向きだけ立派なように見せて、こっちの非、非というのは悪いところを攻撃してくる。
もともと返報、仕返しにしたことだから、こちらの弁護は向こうの非が挙がらない上は弁護にならない。
つまりは向こうから手を出しておいて、向こうから先にやっておいて、
世間体は、世間から見ると、他人から見ると、こっちが仕掛けた喧嘩のようにみなされてしまう。
大変な不利益だ。
それなら向こうのやるなり、愚迂多良童子を決め込んでいれば、向こうはますます増長するばかり。
大きく言えば世の中のためにならない。
愚迂多良童子というのは、怠け者、怠けてる人のことだそうです。
向こうにやられっぱなしで怠けていたら、何もしないでいたら、今度は向こうはますます増長して、ますます攻撃してくる。
坊っちゃんはすごい敵対心を子供たちに対して持っていますね。
そこで仕方がないから、こっちも向こうの筆法を用いて、捕まえられないで手のつけようのない返報をしなくてはならなくなる。
筆法は、元々はこの字見てもらえば分かる通り、書き方、筆の使い方ですから書き方ですけど、
ま、ここではおそらくやり方、方法という意味で使われてますね。
だから向こうがそう来るなら、こっちも同じようなやり方で仕返しをしなくちゃいけなくなる。
そうなっては江戸っ子もダメだ。
ダメだが、1年もこうやられる以上は俺も人間だから、ダメでもなんでもそうならなくちゃ始末がつかない。
ま、江戸っ子としてね、そんなずるいやり方はダメだって思うんだけど、でも1年もこんな状態が続いてるんだから、俺だって人間だ。
ダメでも何でもそういうずるいやり方を自分もしなくっちゃどうしようもない。
どうしても早く東京へ帰って清と一緒になるに限る。
はい、清が出てきました。
こんな田舎にいるのは堕落しに来ているようなものだ。
堕落するっていうのは、どんどんダメになっていくってことですね。
新聞配達をしたって、ここまで堕落するよりはましだ。
この土地にとどまって、先生をしながらこの松山の人たちのそういうやり方に染まってダメな人間になっていくぐらいなら、
東京に帰って新聞配達をしながら生活をする方がまだましだということですね。
こう考えて、いやいやついてくると、なんだか先鋒が急にガヤガヤ騒ぎ出した。
はい、坊っちゃんここまでずっと頭の中で生徒に対する愚痴をずっと言ってましたけど、今あれですよね。
日露戦争の祝勝会の式典に参加して、列になって歩いているところでしたね。
はい、先鋒、前の方が、列の前の方が急にガヤガヤ騒ぎ出した。
同時に列はぴたりと止まる。
変だから、列を右へ外して向こうを見ると、大手町を突き当たって薬師町へ曲がる角のところで行き詰まったぎり、
押し返したり、押し返されたりして揉み合っている。
急にガヤガヤ騒ぎ出して列が止まったので、変だなと思ってちょっと右に出て前の方を見てみると、
大手町を突き当たって薬師町へ曲がるこの角のところで、行き詰まったというのは、前に進めない状態になったということですね。
行き詰まって押し返したり、押し返されたりして揉み合っている。
前方から「静かに静かに」と声を枯らしてきた体育教師に「何です?」と聞くと、曲がり角で中学校と師範学校が衝突したんだという。
師範学校は今で言う教育大学だそうです。
先生になるための学校ですね。
でも年齢は今の大学生みたいに18歳とか19歳ではなくて、もっと若い子、中学生高校生ぐらいの年齢の子達が通う先生になるための学校だそうです。
中学と師範とは、どこの県下でも犬と猿のように仲が悪いそうだ。
犬と猿っていうのは犬猿の仲という言葉もある通り、仲が悪いという意味で使われます。
なぜだか分からないが、まるで気風が合わない。
何かあると喧嘩をする。
大方、狭い田舎で退屈だから暇つぶしにやる仕事なんだろう。
俺は喧嘩は好きな方だから、衝突と聞いて面白半分に駆け出していった。
すると前の方にいる連中は、しきりに「なんだ地方税のくせに」「引き込め」と怒鳴ってる。
後ろからは「押せ押せ」と大きな声を出す。
地方税というのは、その地方に納める税金のことですね。
地方税のくせにっていうこの悪口は、多分ですけど、師範学校はその学校を運営する費用として地方税の補助を受けてたんだそうです。
その地方に住む人たちから税金を集めて、それを補助として、その自治体が師範学校にお金をあげていたんだそうです。
それで「地方税のくせに」「税金泥棒」みたいな感じで、この悪口を、おそらくこれは中学の、坊っちゃんの中学の子たちが言ってるんでしょうね。
俺は邪魔になる生徒の間をくぐり抜けて曲がり角へもう少しで出ようとした時に、
「前へ」という高く鋭い号令が聞こえたと思ったから、師範学校の方は粛々として行進を始めた。
粛々とは、静かにですね。
静かに淡々と、そんな感じです。
坊っちゃんは喧嘩が好きとさっき言ってましたね。
だからどんな喧嘩をしているのか見たくて、面白半分で「面白そう!」と思って前に進んで喧嘩を見に行こうとしたんだけれども、
「前へ」って号令が聞こえて師範学校の方が前に進み始めたので、争いが終わったんでしょうね。
先を争った衝突は折り合いがついたには相違ないが、つまり中学校が一歩を譲ったのである。
資格から言うと、師範学校の方が上だそうだ。
中学校と師範学校、どっちが先に進むかで曲がり角のところで争っていたんだけど、折り合いがついた。
折り合いが付くっていうのは、まぁなんとかお互いに納得して、一応争いが終わったっていうことです。
中学校が一歩譲って師範学校に先に行かせたことで折り合いがついたんですね。
資格から言うと、師範学校の方が上。
おそらくこの当時の学校の中でも、レベルというかランクがあって、師範学校の方が上だったんでしょうね。
はい、次です。
祝勝の式はすこぶる簡単なものであった。
旅団長が祝詞を読む。
知事が祝詞を読む。
参列者が万歳を唱える。
それでおしまいだ。
旅団長というのは軍の人でしょうね。
(旅団長)が、お祝いの言葉を述べて、知事がお祝いの言葉を述べて、参列者が「万歳」万歳を唱えて、それでおしまいでした。
余興は午後にあるという話だから、ひとまず下宿へ帰って、この間中から気にかかっていた清への返事を書きかけた。
余興っていうのは、なんかのそういうセレモニーの後に、それを盛り上げるための出し物みたいな感じですね。
例えば結婚式とかでも余興があって、例えば新郎新婦のお友達が歌を歌ったり、なんか面白いことをしたり、踊ったり。
そういうのを余興って言います。
今度はもっと詳しく書いてくれとの注文だから、なるべく念入りにしたためなくちゃならない。
はい、したためるは、書くっていう意味です。
しかし、いざとなって半切れを取り上げると。
半切れはおそらくその手紙を書く紙でしょうね。
書くことはたくさんあるが、何から書き出していいかわからない。
あれにしようか。
あれは面倒くさい。
これにしようか。
これはつまらない。
何かすらすらと出て骨が折れなくて。
骨が折れるは、苦労をするですね。
苦労せず、そして清が面白がるようなものはないかしらんと考えてみると、そんな注文通りの事件は1つもなさそうだ。
はい、清に書いてやるいいネタがありません。
俺は墨をすって筆をしめして巻き紙をにらめて、睨んで、じっと見て。
巻紙をにらめて筆をしめして墨をすって。
同じ所作を、同じ動作を、同じように何遍も繰り返した後、俺にはとても手紙はかけるものではないと諦めて、硯の蓋をしてしまった。
硯っていうのは墨をするものです。
それに蓋をしてしまった。
手紙なんぞを書くのは面倒くさい。
やっぱり東京まで出かけて行って、会って話をするのが簡便だ。
簡単だ。
清の心配は察しないでもないが、清の心配する気持ちは分からないこともないが、清の注文通りの手紙を書くのは三七日、
これは37日ではなくて、3×7で21日のことだそうです。
三七日の断食よりも苦しい。
21日間も普通断食はできないと思いますけど。断食っていうのは何も食べないことですね。
清の注文通りの、清に言われた通りの手紙を書くのは21日間断食するよりももっと苦しい、もっと大変なことだと言っています。
俺は筆と巻き紙を放り出して、ごろりと転がって肘枕をして、自分の肘を枕にして庭の方を眺めてみたが、やっぱり清のことが気にかかる。
その時、俺はこう思った。
こうして遠くへ来てまで清の身の上を案じていてやりさえすれば、俺の真心は清に通じるに違いない。
身の上を案じるっていうのは、清のことを心配するってことですね。
通じさえすれば手紙なんぞやる必要はない。
やらなければ無事で暮らしてると思ってるだろう。
便りは死んだ時か病気の時か、何かことの起こった時にやりさえすればいいわけだ。
こうやって清のことを思っていれば、わざわざ手紙なんて書かなくても心は通じるだろうと言っています。
便りがないのはいい便りっていう言葉があります。
便りっていうのは手紙のことですね。
手紙とか連絡のことです。
連絡がないってことは元気にしている証拠だ。
なんか悪いことが起きた時に手紙を書くだろうから、何も手紙がない、何も連絡がないってことは、
特に問題なく元気にやっている証拠だっていうような言葉があります。
坊っちゃんもそんなことを言っています。
ま、結局清にうまく手紙が書けそうにないから、書くことを諦めてしまったんですね。
庭は十坪ほどの平庭で、これという植木もない。
ただ一本のみかんがあって、みかんの木があって、塀の外から目印になるほど高い。
俺は家へ帰ると、いつでもこのみかんを眺める。
東京を出たことのない者には、みかんのなっているところはすこぶる珍しいものだ。
みかんは愛媛の特産品ですね。
今、坊っちゃんが住んでるここは愛媛の松山ですけど、みかんは今でも愛媛でよく穫れる有名な特産品です。
あの青い実が、ここ青いと言ってますけど、実際には緑ですね。
日本語では信号とかもそうですけど、緑のもの青っていう時があります。
果物の実とかがまだ熟していなくて緑の時、果物とか野菜とかですね、そういう時にも結構青い、まだ青いから食べられないとか言いますね。
あの青い実がだんだん熟してきて黄色になるんだろうが、定めて綺麗だろう。
定めては、きっとという意味だそうです。
今でももう半分色の変わったのがある。
婆さんに聞いてみると、すこぶる水気の多い、水分の多い、うまいみかんだそうだ。
今に熟れたらたんと召し上がれと言ったから、毎日少しずつ食ってやろう。
たんとっていうのは、いっぱいってことですね。
もう3週間もしたら十分食えるだろう。
まさか3週間以内にここを去ることもなかろう。
俺がみかんのことを考えているところへ偶然山嵐が話にやってきた。
今日は祝勝会だから君と一緒にごちそうを食おうと思って牛肉を買ってきたと、竹の皮の包みを袂から引きずり出して、座敷の真ん中へ放り出した。
袂は着物の袖の部分のことです。ここから出して座敷にポンと放り出した。
俺は下宿で芋責め豆腐責めになってる上、蕎麦屋行き団子屋行きを禁じられてる際だから、
そいつは結構だと、すぐばあさんから鍋と砂糖を借りこんで煮方に取りかかった。
この下宿では芋や豆腐ばっかり食事に出てくるんですね。
だから芋責め豆腐責めになってる上、蕎麦屋とか団子屋に前行って、生徒たちに見られて噂されたことがあったので、
行っちゃダメって禁止されている時なので、「あ、それはいいね」と言って、下宿のおばあさんから鍋と砂糖を借りて早速煮始めました。
山嵐はむやみに牛肉を頬張りながら、君、あの赤シャツが芸者に馴染みのあることを知ってるかと聞くから、
知ってるとも、この間うらなりの送別会の時に来た一人がそうだろうと言ったら、
そうだ、僕はこの頃ようやく勘づいたのに君はなかなか敏捷だと大いに褒めた。
馴染みのあるっていうのは、親しい、仲がいいってことですね。よく知っているっていうことですね。
敏捷は素早い、素早いことだそうですよ。
山嵐と二人で赤シャツの噂話を始めました。
送別会、うらなり先生の送別会の時に、芸者の女の人の中の一人と赤シャツがなんか挨拶をしてましたね。
あいつは二言目には品性だの精神的娯楽だのというくせに、裏へ回って芸者と関係なんかつけとる。
けしからんやつだ。
それも他の人が遊ぶのを寛容するならいいが、君が蕎麦屋へ行ったり団子屋へ入るのさえ取り締まり上害になると言って、校長の口を通して注意を加えたじゃないか。
赤シャツは上品ぶって、品性が大事とか、精神的な楽しみが大事っていうくせに、自分は芸者と親しくしている。
けしからん、だめだ、悪いやつだ。
しかも他の人が遊ぶのを寛容する、というのは、多めに見る、許すならいいけど、
坊っちゃんが蕎麦屋とか団子屋に行くのをダメだと言って、害になる、悪いと言って注意したじゃないか。
うん、あの野郎の考えじゃ芸者買いかな...芸者と遊ぶこと、芸者遊びは精神的娯楽で、天麩羅や団子は物理的娯楽なんだろう。
精神的娯楽ならもっと大べらにやるがいい。
大べらは、おおっぴらに公にやるっていうことですね。
隠れてやるんじゃなくて、大っぴらにやる。
やればいいのに、なんだあの様は。
馴染みの芸者が入ってくると入れ替わりに席を外して逃げるなんて、どこまでも人をごまかす気だから気に食わない。
気に食わない。気に入らない。
そうして人が攻撃すると、僕は知らないとか、ロシア文学だとか俳句が新体詩の兄弟文だとか言って...ちょっとこの文学の話ですね。
人を煙に巻くつもりなんだ。
煙に巻くっていうのは、これ煙ですね。
煙に巻かれたように、煙に巻かれると前が見えないですよね。
そんな風に、なんか相手を惑わせる。
相手がよくわからないことを、わぁーって言って、相手を圧倒して呆然とさせる。
そういうのを煙に巻くと言います。
あんな弱虫は男じゃないよ。
全く御殿女中の生まれ変わりか何かだぜ。
はい、女中というのは、昔のお家とかに雇われて、あとは旅館とかに雇われて、
そのいろんな家事とか雑用をするような召使みたいな女の人のことを女中と言っていました。
えっと、御殿女中というのは、昔々将軍とか偉い人に仕えていた女中のことで、これは当時、意地悪な人の例えとして使われていた。
当時この言葉は意地悪な人を表す言葉として使われていたそうです。
御殿女中の生まれ変わりか何かだぜ。
きっと赤シャツは、前世、前の人生では御殿女中だったに違いないと言ってます。
ことによると、あいつの親父は湯島のかげまかもしれない。
湯島のかげま。
これもちょっと私は初めて聞いたので調べてみたところ、えっと、昔、江戸時代に体を売っていた、性的サービスをしていた少年のことだそうです。
はい、とにかくまあ、坊っちゃんは赤シャツの悪口を言ってるわけですね。
湯島のかげまたなんだ。かげま「とは」なんだですね。これ「た」ってなってますけど。
はい、山嵐も意味が分からなくて質問しています。
何でも男らしくないもんだろう。
君そこのところはまだ煮えてないぜ。
そんなのを食うとサナダムシが湧くぜ。
これはお肉の話をしてますね。
まだ煮えてないよって。
まだ赤いよって。
サナダムシはお腹の中に湧く、腸内に湧く虫だそうです。
煮えてない、まだ火が通ってないお肉を食べると、虫が湧くよ。
ま、お腹に悪いよってことですね。
そうか、大抵大丈夫だろう。
それで赤シャツは人に隠れて湯の町の角屋へ行って、芸者と会見するそうだ。
会見って聞くと、ぱっと思いつくのは記者会見。
なんか有名な人とか政治家とかが、ニュースの記者たちを前に何か発表したり話をすること会見って言いますけど、
ここではまぁ「会う」という意味で使われてますね。
角屋ってあの宿屋か。
宿屋兼料理屋さ。
だからあいつを一番へこますためには、あいつが芸者を連れてあすこ、あそこですね、あそこへ入り込むところを見届けておいて面詰するんだね。
面詰は、直接会って、面と向かって問い詰めること。
これしたでしょって問い詰めることですね。
見届けるって、夜番でもするのかい?
刑事が張り込みをするように、夜ずっとそこで見張って待っているつもりなんでしょうか。
うん、角屋の前に桝屋という宿屋があるだろう。
あの表二階を借りて障子へ穴を開けて見ているのさ。
はい、やっぱり見張りをするつもりなんですね。
見ている時に来るかい?
来るだろう。
どうせ一晩じゃいけない。
二週間ばかりやるつもりでなくっちゃ。
ずいぶん疲れるぜ。
僕は親父の死ぬ時一週間ばかり徹夜して看病したことがあるが、後でぼんやりして大いに弱ったことがある。
少しぐらい体が疲れたって構わんさ。
あんな奸物をあのままにしておくと、奸物は悪いやつ。
腹黒い人。
いい人そうに見えて実はすごく悪いことを考えている人。
(奸物)をあのままにしておくと日本のためにならないから、僕が天に代わって誅戮を加えるんだ。
天に代わって、これは神様に代わってっていうことですね。
誅戮、これは罪人、罪を犯した人を殺すことだそうです。
愉快だ。
面白い。
そうことが決まれば俺も加勢してやる。
加勢するは、手伝うよ、力を貸すってことですね。
それで今夜から夜番をやるのかい?
まだ桝屋に掛け合ってないから今夜はだめだ。
桝屋はその赤シャツが芸者さんと密会をしている場所の向かいにある宿屋ですね。
(桝屋)に掛け合ってない、伝えていないから、話し合ってないから、今夜はダメだ。
それじゃあいつから始めるつもりだい?
近々のうちやるさ。
近々やるさ。
いずれ君に報知をするからそうしたら加勢してくれたまえ。
報知するは、知らせることですね。
よろしい。いつでも加勢する。
僕は計略は下手だが、喧嘩と来るとこれでなかなかすばしこいぜ。
計略は、計画、策略ですね。
喧嘩となればこう見えて結構すばしっこい、素早いよ。
いい動きをするよということですね。
俺と山嵐がしきりに赤シャツ退治の計略、計画を相談していると、宿の婆さんが出てきて、
学校の生徒さんが一人、堀田先生にお目にかかりたいてて、おいでたぞな、もし。
堀田先生は山嵐のことですね。
山嵐に会いたいと言って来ました。
今お宅へ参じたのじゃが、行ったのだけど、お留守じゃけれ、大方ここじゃろうてて探し当てておいでたのじゃがな、もし、
と敷居のところへ膝をついて山嵐の返事を待ってる。
部屋の敷居、端っこのことです。
山嵐は、そうですかと玄関まで出て行ったが、やがて帰ってきて、君、生徒が祝勝会の余興を見に行かないかって誘いに来たんだ。
今日は高知から、高知は隣の県ですね。
なんとか踊りをしにわざわざここまで多人数乗り込んできているのだから、ぜひ見物しろ、めったに見られない踊りだと言うんだ。
君も一緒に行ってみたまえと、山嵐は大いに乗り気で、乗り気っていうのは「あ、いいねいいね」ってすごく興味津々でやる気があるってことですね。
俺に同行を勧める。
同行するは、一緒に行くってことですね。
俺は踊りなら東京でたくさん見ている。
毎年八幡様のお祭りには屋台が町内へ回ってくるんだから、汐酌でもなんでもちゃんと心得ている。
はい、屋台は祭りの時に引くお神輿だと思います。お祭りの時にこうお御輿が回ってくる。
汐酌は踊りの名前だそうです。
祭りの時に踊る踊りの名前だそうです。
汐酌でもなんでも、ちゃんと知っている。
分かっている。
土佐っぽ、土佐というのは今の高知県。
さっき高知から踊る人たちがやってくるって言ってましたね。
だから土佐っぽってちょっとまた高知の人を馬鹿にして言ってますね。
土佐っぽのバカ踊りなんか見たくもないと思ったけれども、せっかく山嵐が勧めるもんだから、つい行く気になって門へ出た。
山嵐を誘いに来たものは誰かと思ったら赤シャツの弟だ。
妙なやつが来たもんだ。
赤シャツの弟は坊っちゃんの、坊っちゃん達の学校の生徒なんでしたよね。
前一度出てきましたね。
会場へ入ると、回向院の相撲か本門寺の御会式のように幾旒となく長い旗を所々に植え付けた上に、
世界万国の国旗をことごとく借りてきたくらい、縄から縄、綱から綱へ渡しかけて、大きな空がいつになく賑やかに見える。
回向院の相撲。これはなんか前にも1回出てきましたけど、今の相撲の起源、基になったものです。
本門寺の御会式。これもちょっとよくわからないですけど、本門寺という東京にあるお寺の、そこで開かれる式かのように、
こういう大きなイベントかのように、たくさん旗が飾られて、
世界万国の、世界中の国旗を借りてきたんじゃないかって思うぐらい、いっぱい旗が掲げられてすごく賑やか。
東の隅に一夜作りの舞台を設けて、ここでいわゆる高知のなんとか踊りをやるんだそうだ。
舞台を右へ半町ばかり来ると、これは長さの単位だそうです、町が。
葭簀の囲いをして、まぁなんかこう、囲ってあるんでしょうね。
生花が陳列してある。
お花が並べてあります。
みんなが感心して眺めているが、一向くだらないものだ。
くだらないというのはバカバカしい、馬鹿らしい、大したものじゃないってことですね。
あんなに草や竹を曲げて嬉しがるなら、背虫の色男や跛の亭主を持って自慢するがよかろう。
草や竹をこうを曲げて作ったこの囲いとか生け花を見て、みんながわあって感心して喜んでます。
でも坊っちゃんは、はっ、くだらないって思ってます。
あんなものをね、見て嬉しがるなら、これは私は聞いたことがない言葉なんですが、どちらもちょっと差別的な言葉なので使わない方がいいと思うんですけど。
これは背中の虫と書いて、こう背骨が曲がって、こう前屈みになっている人のことだそうです。
ま、だから、草や竹を曲げて作ったものを見て喜んでるから、だったら背中が曲がった男を連れて自慢すればいいみたいなことでしょうか。
そして跛、跛は、えっと、跛をひくとか言うと、足の片方に怪我をしてたり何か障害があって、こうやって普通に歩けない。
こう片足引きずって歩くのを跛をひくって言ってますね。
でもこれも差別的な言葉なので、使わない方がいいです。
足を引きずるってことですね。
亭主は、旦那さん、夫のことです。
舞台とは反対の方面でしきりに花火をあげる。
花火の中から風船が出た。
帝国万歳と書いてあるはい、帝国は日本のことを指しています。
日本のことを大日本帝国という言い方をする場合があります。
そのことですね。
天守の松の上をふわふわ飛んで、営所の中へ落ちた。
えっと、天守は天守閣のこと。
お城のメインの一番高い建物のことですね。
天守閣の松の上をふわふわ飛んで、営所、これは兵営のことだそうです。
兵隊さんが住んでいる場所、その中へ落ちた。
次はポンと音がして、黒い団子がしょっと秋の空を射抜くように上がると、それが俺の頭の上でポカリと割れて、
青い煙が傘の骨のように開いて、傘の骨のように開いてだらだらと空中に流れ込んだ。
風船がまた上がった。
今度は陸海軍万歳と、赤字に白く染め抜いたやつが、風に揺られて湯の町から相生村の方へ飛んでいった。
大方、観音様の境内へでも落ちたろう。
はい、ま、お寺のことでしょうね、これは。
式の時はさほどでもなかったが、そうでもなかったが、今度は大変な人出だ。
人がいっぱい来ています。
田舎にもこんなに人間が住んでるかと驚いたぐらい、うじゃうじゃしている。
利口な顔はあまり見当たらないが、利口、頭の良さそうな顔をはあまりないけれど、数から言うと確かに馬鹿にできない。
数はすごいってことですね。
そのうち評判の高知のなんとか踊りが始まった。
踊りというから藤間かなんぞのやる踊りかと早合点していたが、これは大間違いであった。
藤間は日本の伝統的な踊り、日本舞踊の種類の一つだそうです。
ま、そんなのをやるのかと早合点する、これはよく知りもしないで分かった気になっていたっていうことですね。
早合点していたが、分かったつもりになっていたが、大間違いであった。
坊っちゃんが想像してたのとは全然違う踊りが始まったんですね。
厳しい後鉢巻をして。
厳しい、こうなんかちょっとかっこいい感じの、いかつい感じの。
後ろ鉢巻、鉢巻はこう頭に巻くやつですね。
後ろ向きに鉢巻をして、立っつけ袴を履いた男。
立っつけ袴は膝から下が細くなっている袴。
袴は、昔の伝統的な男性の履くズボンみたいなものですね。
その膝から下がこう細くなったような立っつけ袴って呼ばれる袴を履いた男が
10人ばかりずつ、舞台の上に三列に並んで、その30人がことごとく抜き身を下げているにはたまげた。
抜き身、えっと、刀だそうです。
鞘から抜いた状態の刀を下げているには、たまげた、驚いた。
前列と後列の間はわずか一尺五寸ぐらいだろう。
一尺は30センチぐらいなので、45センチぐらいしか前の列と後ろの列が間が空いていない。
左右の感覚はそれよりも短いとも長くはない。
たった一人列を離れて舞台の端に立ってるのがあるばかりだ。
この仲間外れの男は袴だけはつけているが、後鉢巻は倹約して、抜き身の代わりに胸へ太鼓をかけている。
倹約、普通今、倹約するっていうと、お金をあまり無駄に使わないようにしている人のことを倹約家って言ったりするんですけど。
ま、ここではおそらく単に、後鉢巻はしていないってことでしょうね。
そして抜き身じゃなくて、その代わりに胸に太鼓をかけている。
太鼓は大神楽の太鼓と同じものだ。
大神楽っていうのは、そういうパフォーマンスの名前があるんだそうです。
大神楽って呼ばれる、そういう出し物で使うような太鼓と同じものだ。
この男がやがて、いやあ、はあと呑気な声を出して妙な歌を歌いながら太鼓ボコボンボコボンと叩く。
歌の調子は前代未聞の不思議なものだ。
前代未聞は今まで見たことも聞いたこともない、不思議なものだ。
三河漫才と普陀洛やの合併したものと思えば、大した間違いにはならない。
三河漫才はお正月に行われていたお祝いの芸の一つだそうです。
普陀洛、この辺は全然もう本当に私も初めて聞くような言葉ばっかりなので、知る必要ないと思うんですけど、まぁ
普陀洛っていうのは、歌を歌う人の名前だそうです。
これとこれが合わさったような歌を歌っている。
歌はすこぶる悠長なもので、夏分の水飴のようにだらしがないが、区切りを取るためにボコボンを入れるから、のべつのようでも拍子はとれる。
悠長っていうのは落ち着いていて、のんびりしている様子ですね。
悠長なゆっくりした歌で、夏の水飴、水飴はとろーっとした、液体のような水のような甘いもの。
水飴っていうのがあるんですけど、水飴のように、とろーんとしてだらしがないけれど、
区切りを取るためにボコボン太鼓を間に入れるから、ずっとこうだらしなく続いてるような感じだけれども、ちゃんと拍子は取れる。
拍子を取る、ね、拍子は取れる。
この拍子に応じて30人の抜き身が、刀が、ピカピカと光るのだが、これはまたすこぶる迅速なお手際で、すごく動きが早くて、拝見していてもひやひやする。
刀をね、ここに刺した状態で踊るので、迅速に素早く踊るので、見ているだけでもひやひやする。
大丈夫かなってひやひやする。
隣も後ろも一尺五寸以内に生きた人間がいて、その人間がまた切れる本物の抜き身、刀を自分と同じように振り回すのだから。
あ、ここに刺してるんじゃなくて、こう振り回してるんですね。
それはひやひやしますね。
よほど調子が揃わなければ、同士撃ちを始めて怪我をすることになる。
よっぽどこのリズムを揃えて同じ動きをしないと、同士撃ち、仲間を撃ってしまう、仲間を斬ってしまうってことですね。
怪我をすることになる。
それも動かないで刀だけ前後とか上下とかに振るのならまだ危なくもないが、30人が一度に足踏みをして横を向く時がある。
ぐるりと回ることがある。
膝を曲げることがある。
隣のものが一秒でも早すぎるか遅すぎれば、自分の鼻は落ちるかもしれない。
切り落とされるかもしれない。
隣の頭は削がれるかもしれない。
削がれる、削ぐというのは、削ぎ落とす...なんだろう...削るみたいな感じですね。
抜き身の動くのは自由自在だが、その動く範囲は一尺五寸角の柱のうちに限られた上に、前後左右のものと同方向に同速度にひらめかなければならない。
こいつは驚いた。
なかなかもって汐酌や関の戸の及ぶところではない。
これさっきあの、お祭りの踊りって言ってましたね。
これも伝統芸能の浄瑠璃の一つだそうです。
芸の名前ですね、どちらも。
だから坊っちゃんの東京で見てきたこういったものの及ぶところでないということは、これよりもすごい。
さっきはね、すごいバカにして、大したことないだろうって思っていたけど、すごいって坊っちゃん感心しています。
聞いてみると、これは甚だ熟練のいるもので、容易なことではこういう風に調子が合わないそうだ。
はい、すごい練習してるんですね。
簡単には揃わない。
ことに難しいのは、かの万歳節のボコボン先生だそうだ。
30人の足の運びも、手の働きも、腰の曲げ方も、ことごとくこのボコボン君の拍子一つで決まるのだそうだ。
はい、この太鼓がすごく重要だと言っています。
端で見ていると、外から見ていると、この大将が、太鼓を叩いている人が、一番呑気そうにいや、はあ、と気楽に歌ってるが、
その実は甚だ責任が重くて非常に骨が折れるとは、不思議なものだ。
呑気そうに見えるけど、実際のところは一番責任重大で一番大変なポジションだということです。
俺と山嵐が関心のあまりこの踊りを余念なく見物していると、余念なくじっくりと見ていると、
半町ばかり向こうの方で、急にわあ!という鬨の声がして、今まで穏やかに諸所を縦覧していた連中が、
これはいろんな場所を自由に見て回っていた人たちが、にわかに、急に波を打って右左に動き始める。
喧嘩だ喧嘩だという声がすると思うと、人の袖をくぐり抜けてきた、人の横を通ってくるってことですね。
人の袖をくぐり抜けてきた赤シャツの弟が、先生、また喧嘩です。
中学の方で今朝の意趣返しをするんで、また師範のやつと決戦を始めたところです。
早く来てくださいと言いながら、また人の波の中へ潜り込んで、どっかへ行ってしまった。
はい、意趣返しは仕返しのことです。
今朝、列を作って歩いている時に、中学の生徒と師範学校の生徒でいざこざがありましたね。
その仕返しだって言って、また喧嘩が始まりました。
山嵐は、世話の焼ける小僧だ。また始めたのか。
世話の焼ける、手のかかる子供たちだ。
また始めたのか。いい加減にすればいいのにと、逃げる人をよけながら一散に、これは一目散に。
もう脇目も振らずに駆け出した。
見ているわけにもいかないから、取り鎮めるつもりだろう。
喧嘩を沈める、落ち着かせるつもりだろう。
山嵐は喧嘩の現場に向かいました。
俺は無論のこと逃げる気はない。
山嵐の踵を踏んで、後からすぐ現場へ駆け付けた。
これ、踵を踏む。
足の踵ですね。
本当に踵を踏んだわけではなくて、これは例えで、踵を踏むぐらいすぐ後ろについて追いかけていったということです。
喧嘩は今が真っ最中である。
師範の方は5,60人もあろうか。
中学は確かに3割方多い。
ま、師範学校の生徒が5,60人いて、中学の生徒は3割方多いってことは、7,80人ぐらいいるってことですね。
師範は制服をつけているが、中学は式後大抵は日本服に着替えているから、敵味方はすぐわかる。
しかし入り乱れて組んづ解れつ戦ってるから、どこからどう手をつけて引き分けていいか分からない。
山嵐は困ったなという風で、しばらくこの乱雑な有様を眺めていたが。
もうね、ぐっちゃぐちゃになった様子を眺めていたが、こうなっちゃ仕方がない。
巡査が来ると面倒だ。
これは警察のことです。
警察が来ると面倒くさいから、大変だから、飛び込んで分けようと俺の方を見て言うから、俺は返事もしないでいきなり一番喧嘩の激しそうなところへ踊り込んだ。
よせ!よせ!
やめろ!やめろ!
そんな乱暴をすると学校の体面に関わる。
学校のメンツに関わる。よさないか、やめなさいと出るだけの声を出して、
敵と見方の分界線、分け目らしいところを突き抜けようとしたが、なかなかそううまくはいかない。
一二間入ったら、ちょっと入ったら、出ることも引くこともできなくなった。
目の前に比較的大きな師範生が15,6の中学生と組み合っている。
よせと言ったらよさないかと、師範生の肩を持って無理に引き分けようとする途端に、誰か知らないが、下から俺の足をすくった。
俺はふいを打たれて、ふいを打たれるっていうのは、予想してなかったことをされて。
ふいを打たれて握った肩を離して横に倒れた。
硬い靴で俺の背中の上へ乗ったやつがある。
両手と膝をついて下から跳ね起きたら、乗ったやつは右の方へ転がり落ちた。
起き上がってみると、三間ばかり向こうに山嵐の大きな体が生徒の間に挟まりながら、よせよせ、喧嘩はよせよせと揉み返されてるのが見えた。
おい、到底ダメだと言ってみたが、聞こえないのか返事もしない。
一生懸命間に入って止めようとするんだけれども、もうもみくちゃで、もう全然うまくいきませんね。
ヒューッと風を切って飛んできた石が、いきなり俺の頬骨へ当たったなと思ったら、後ろからも背中を棒でどやしたやつがある。
どやすは、棒でこうやってね、叩いたんでしょうね。
教師のくせに出ている。
ぶてぶてという声がする。
教師は二人だ。
大きいやつと小さいやつだ。
石を投げろという声もする。
俺は、何、生意気なことを抜かすな。
生意気なことを言うな。
田舎者のくせにと、いきなりそばにいた師範生の頭を張り付けてやった。
石がまたヒューとくる。
今度は俺の5分刈りの頭をかすめて、シュッとかすめて後ろの方へ飛んでいった。
5分刈りは、坊っちゃんは頭を坊主にしていたんですね。頭を剃って坊主にしてました。
で、5分っていうのは、9ミリ、1センチ弱ですね。
9ミリぐらいです。9ミリぐらい髪を残して剃ること、それを5分刈りって言います。
山嵐はどうなったか見えない。
こうなっちゃ仕方がない。初めは喧嘩を止めに入ったんだが、どやされたり石を投げられたりして、恐れ入って引き下がるうんでれがんがあるものか。
うんでれがん、初めて聞きましたが、バカということだそうです。
喧嘩を止めに入って、叩かれたり石を投げつけられたりしたからって、あ、じゃあやめときますって引き下がるバカがどこにいるか。
俺を誰だと思うんだ?
なり、体は小さくても喧嘩の本場で修行を積んだ兄さんだと、無茶苦茶に張り飛ばしたり、張り飛ばされたりしていると。
喧嘩の本場って坊っちゃんはこれ、江戸のことを言ってるんですかね。
やがて、巡査だ巡査だ!逃げろ、逃げろ!という声がした。
警察が来たんですね。
今まで葛練、葛練...葛練は、葛湯という飲み物のことを指しているんだそうです。
葛湯の中で泳いでいるように、身動きもできなかった。
あ、だから葛湯ってちょっとこう、トローっとしてるんですね、多分。
だからこう、ドロドロしているところって泳ぎにくいじゃないですか。
身動きが取れませんよね。
自由に動けません。
そんな風だったのが、急に楽になったと思ったら。
なるほど。だからもう、揉みくちゃにされて、子供たちに。
まるで葛切りの中で泳いでいるように動けなかったのが、急に、お、楽になったと思ったら、敵も味方も一度に引き上げてしまった。
巡査だ巡査だ。
警察が来たから、みんなわぁーって引き上げたんですね。
田舎者でも退却は巧妙だ。
田舎者でも逃げるのはうまい。
クロパトキンよりうまいくらいである。
クロパトキン、何でしょう?
えーと、これは、調べたところ、日露戦争の時のロシアの将軍だそうです。
この人は日本と戦って連戦連敗、ずっと負けていて、負けっぱなしの無能な、能力のない将軍ということで知られていた人なんだそうです。
この人もいつもね、負けて逃げていたんでしょうね。
だから逃げるのは、そのロシアのクロパトキンよりもうまいぐらいだと言っています。
山嵐はどうしたかと見ると、紋付きの一重羽織をずたずたにして。
紋付きっていうのは、これはここではその着ている和服のことを言っています。
その羽織をずたずたにして、ボロボロにして、向こうの方で鼻を拭いている。
鼻柱を殴られてだいぶ出血したんだそうだ。
鼻血が出ています。
鼻が膨れ上がって真っ赤になって、すこぶる見苦しい。
見栄えが悪い。
俺は飛白の合わせを着ていたから、これは模様の名前ですね。
泥だらけになったけれども、山嵐の羽織りほどな損害はない。
ま、坊っちゃんも泥だらけになってるけど、山嵐ほど、ひどい状態にはなっていない。
しかし、ほっぺたがピリピリしてたまらない。
殴られたところが痛いんですね。
山嵐は、だいぶ血が出ているぜと教えてくれた。
巡査は15,6名来たのだが、生徒は反対の方面から退却したので、みんな逃げたので、捕まったのは俺と山嵐だけである。
二人だけ捕まってしまいました。
俺らは姓名を告げて、自分の名前を言って、一部始終、どんなことが起きたのか一部始終を話したら、
ともかくも、とにかく、警察まで来いと言うから、警察へ行って、所長の前で事の顛末を述べて下宿へ帰った。
事の顛末、顛末も、これ一部始終と同じような意味で、どんなことが起きたのか、その事情を話して下宿へ帰った。
はい、以上です。
今回も皆さん、お疲れ様でした。
次はついに第11章、最終章ですね。
どんな結末なのか楽しみです。
じゃあまた次回続きを読みましょう。
今日はここまでです。