
こんにちは。
夏目漱石の坊っちゃん、ついに最終章です。
今回でお話が完結します。
じゃあ早速読んでいきましょう。
えっと、前回は坊っちゃんと山嵐が師範学校の生徒たちと喧嘩をする騒動を起こしたところで終わりました。
はい、その続きです。
その翌朝の出来事です。
明くる日、目が覚めてみると、体中痛くてたまらない。
久しく喧嘩をしつけなかったから、しばらく喧嘩をしていなかったから、こんなに応えるんだろう。
これじゃあ、あんまり自慢もできないと床の中で考えていると、婆さんが四国新聞を持ってきて枕元へ置いてくれた。
実は新聞を見るのも大儀なんだが、男がこれしきのことにへこたれて仕様があるものかと、無理に腹這いになって寝ながら二頁を開けてみると驚いた。
本当は新聞を見るのも面倒くさいぐらい疲れている、体がだるいんだけど、でも男がこれっぽっちのことで、
これくらいのことで弱音を吐いてへこたれてはいけないと思って、無理に腹這いになって、お腹を下にした状態で寝ながら2ページを開けてみると驚いた。
昨日の喧嘩がちゃんと出ている。
昨日の騒動が新聞に載ってたんですね。
喧嘩の出ているのは驚かないのだが、中学の教師堀田某と、近頃東京から赴任した生意気なる某とが、
純良なる生徒を使嗾してこの騒動を喚起せるのみならず、両人は現場にあって生徒を指揮したる上、みだりに師範生に向かって暴行を欲しいままにしたり、
と書いて、次にこんな意見が附記してある。
ちょっと難しい言葉が多かったですね。
坊っちゃんは全体的に、まぁ古いお話なので、ちょっと古くて硬い難しい言葉が使われてるんですけど、
ここの部分は新聞に書かれている内容なので、特に硬い言葉が使われていて、ちょっと難しいですね。
簡単に言い換えていきます。
堀田某っていうのは山嵐のことですね。
某っていうのは、これ、「なにがし」って読んだりもするんですけど。
えっと、まぁ、名前とか場所、地名とかをはっきりと明記しない時に使う言葉です。
堀田なんとかさんと、近頃東京から赴任した生意気ななんとかさん。
これ坊っちゃんのことですね。(山嵐と坊っちゃん)が、素直で善良ないい生徒たちを使嗾して。
これはそそのかしてっていう意味だそうです。そそのかすっていうのは、こう、おだててちょっとこう悪い方向に導くというか、
その気にさせてちょっと悪いことをさせるみたいな時に使います。
生徒をそそのかして、この騒動を起こさせるのみならず、2人は現場で生徒を指揮して、生徒たちに指示をして、
みだりに、むやみに師範生に向かって暴行を欲しいままにした。
欲しいままにするというのは自分たちの好き勝手にする、したいようにするっていう感じですね。
ま、やりたい放題暴行したと書かれていたそうです。
そして、こんな意見が附記されていた。
追記されていた。
付け加えられていた。
本県の中学は、昔時より善良温順の気風を持って全国の羨望するところなりしが、軽薄なる二豎子のために、
我が校の特権を毀損せられて、この不面目を全市に受けたる以上は、吾人は奮然として起ってその責任を問わざるを得ず。
はい。
本県というのは、この坊っちゃんが今住んでいる愛媛県のことですね。
愛媛県の中学というのは、昔から、善良で穏やかで素直な気風を持っていて、そんな雰囲気を持っていて、全国の憧れだったのに、
軽薄な、軽々しい二豎子、これは坊っちゃんと山嵐のことを指してるんですが、豎子っていうのは未熟ものという意味だそうです。
未熟っていうのは熟していないということですから、まだちゃんと成長しきっていない。
まだ足りない部分がある未熟な2人のせいで、学校の名誉を傷つけられて、全市ですから、坊っちゃんたちの学校だけじゃなくて松山市全体が名誉を傷つけられた。
だから、我々は奮然として、勇気を持って2人にね、坊っちゃん達にちゃんと責任を追求したいと。
吾人は信じず。
吾人が手を下す前に当局者は相当の処分をこの無頼漢の上に加えて、彼らをして再び教育界に足を入れる余地なからしむることを。
はい。
私たちは信じています。
私たちが手を下す、直接坊っちゃんたちに罰を与える前に、当局っていうのは警察のことです。
警察が相当の、きちんとした必要な処分をこの2人に加えてくれると信じています。
無頼漢っていうのは、悪い、ダメな男たちということだそうです。
坊っちゃんたちのことですね。
そして、彼らが再び教育界に足を入れることのないように、つまり先生として働けないように、警察がしてくれることを信じていますと新聞に書かれています。
そうして1字ごとにみんな黒点を加えて「くろてん」...「こくてん」ですかね...を加えてお灸を据えたつもりでいる。
これは文字の上に打たれている点のことなんだそうです。
だから新聞には1字ごとに、こう、その言葉を強調するように点が打たれてあって、
坊っちゃんはそれを見て、こんなね、点まで打ってお灸を据えたつもりなんだなと思っています。
お灸を据えるは、厳しく注意するということですね。
俺は床の中で、布団の中でクソでも喰らえ。
クソ喰らえ。
怒ってますね。
と言いながら、むっくり飛び起きた。
不思議なことに、今まで体の節々が、関節が非常に痛かったのが、飛び起きると同時に忘れたように軽くなった。
俺は新聞を丸めて庭へ投げつけたが、それでもまだ気に入らなかったから、わざわざ後架へ持って行って捨ててきた。
後架はトイレのことです。
新聞なんてむやみな嘘をつくもんだ。
世の中に何が1番ほらを吹くと言って、新聞ほどのほら吹きはあるまい。
ほらを吹くは嘘をつくこと。
ほら吹きは嘘つき、嘘をつく人のことです。
俺の言ってしかるべきことをみんな向こうで並べていやがる。
ま、あの、坊っちゃんと山嵐が当事者、本人ですよね、その事件に関係した本人なのに、勝手に向こうで関係ない奴らが言ってる、と言って怒っています。
それに近頃東京から赴任した生意気な某とは何だ?
天下に、この世に某という名前の人があるか。
考えてみろ。
これでもれっきとした、ちゃんとした姓もあり名もあるんだ。
系図が見たけりゃ多田満仲以来の先祖を1人残らず拝ましてやらあ。
系図は家系図のことですね。家族、先祖代々の名前が書かれた家系図。
それが見たいんだったら、多田満仲、これは坊っちゃんの先祖の1人の名前です。
その人以来の全員の名前を見せてやる。
顔を洗ったら、ほっぺたが急に痛くなった。
昨日殴られて顔に傷があるから、洗ったら痛くなった。
婆さんに鏡を貸せと言ったら、今朝の新聞をお見たかなもしと聞く。
読んで後架へ、トイレへ捨ててきた。
欲しけりゃ拾って来いと言ったら驚いて引き下がった。
鏡で顔を見ると、昨日と同じように傷がついている。
これでも大事な顔だ。
顔へ傷までつけられた上、生意気なる某などと某呼ばわりをされればたくさんだ。
「たくさんだ」はもう嫌だ。
今日の新聞に辟易して、うんざりして、嫌になって学校を休んだなどと言われちゃ一生の名折れだから、
名誉が傷つくから、坊っちゃんの名前に傷がつくから、飯を食っていの一号に出頭した。
すぐに一番に学校に行きました。
出頭という言葉は、今出頭って聞くと、なんか悪いことをして犯罪を犯して、警察に自分から「私がやりました」って言いに行く。
これをイメージします。
これを出頭って言うんですけど、ここでは普通に多分、学校に行った、出勤したという意味で使われていますね。
出てくるやつも出てくるやつも俺の顔を見て笑っている。
何がおかしいんだ。
貴様たちにこしらえてもらった顔じゃあるまいし、お前たちに作ってもらった、用意してもらった顔じゃないんだし、何笑ってるんだ?
怒ってますね。
そのうち野田が出てきて「いやあ、昨日はお手柄で。名誉のご負傷でげすか?」と送別会の時に殴った返報と心得たのか、嫌に冷やかしたから
「余計なことを言わずに絵筆でも舐めていろ」言ってやった。
野田が出勤してきました。
昨日はお手柄でしたねって。お手柄っていうのはすごい功績、すごい仕事をしましたねっていう意味ですね。
でも、これは多分嫌みで言ってますね。
名誉の怪我ですか。
送別会の時、送別会、うらなり先生の送別会で、坊っちゃんが野田を殴ったという出来事がありました。
その仕返しだ。
仕返しできるチャンスだと思ったのか、「お手柄でしたね」って冷やかてきた。
「余計なことは言わなくていいから、絵筆でも舐めていろ」と言ってやった。
野田は美術の先生ですから、「黙って筆でも舐めとけ」と言ったそうです。
すると、「これは恐れ入りやした。しかしさぞお痛いことででしょう。」と言うから、痛かろうが痛くなかろうが俺の面だ。
俺の顔だ。
貴様の世話になるもんか、と怒鳴りつけてやったら、
向こう側の自席へ着いて、自分の席に座って、やっぱり俺の顔を見て、隣の歴史の教師と何か内緒話をして笑っている。
それから、山嵐が出頭した。
山嵐の鼻に至っては、紫色に膨張して、掘ったら中から膿が出そうに見える。
膿っていうのは、なんか怪我をした時に、その傷口の中に水っぽい液体が溜まってる時がありますよね。プクって腫れて。
それを膿って言います。
ちょっとドロドロした。
自惚れのせいか、自惚れ、自分に惚れている、だからナルシストみたいな感じですね。
自惚れのせいか、俺の顔よりよっぽど手ひどくやられている。
山嵐の方が怪我がひどいみたいです。
俺と山嵐は机を並べて隣同士の近しい中で、おまけに、しかもその机が部屋の戸口から真正面にあるんだから運が悪い。
ドアを開けて真正面に妙な顔が、変な顔が2つかたまっている。
他のやつは退屈にさえなると、きっとこっちばかり見る。
他のやつっていうのは、他の職員室にいる他の先生たちのことですね。
坊っちゃんと山嵐、怪我だらけでひどい顔の2人が並んでいるから、きっと他の先生たちは仕事してて退屈になったら、こっちを見てくるだろうなと言ってますね。
「飛んだことで」と口で言うが、心の内では「このバカが」と思っているに相違ない。
飛んだことっていうのは、この飛ぶではなくて、大変なことでしたねっていう意味ですね。
大変なことという意味です。
大変でしたねって口では言うけど、きっと心の中では馬鹿だなって思ってるに違いない。
それでなければ、ああいう風に囁き合ってはクスクス笑うわけがない。
これ、囁くという言葉に私語という字が当てられていますけど、普通はこんな風には書きませんね。
この、「私」に「語」と書いて「私語」というのは、仕事中とかに関係ない話をする、おしゃべりをする。
それを私語って言います。
こそこそお喋りをして、囁き合って、クスクス笑ってるんですね、坊っちゃんたちのことを。
教場へ出ると、生徒は拍手をもって迎えた。
「先生、万歳」と言うものが2、3人あった。
景気がいいんだか馬鹿にされてるんだか分からない。
俺と山嵐がこんなに注意の焦点となってる中に、赤シャツばかりは平常の通りそばへ来て、どうも飛んだ災難でした。
僕は君らに対してお気の毒でなりません。
新聞の記事は校長とも相談して、正誤を申し込む手続きにしておいたから、心配しなくてもいい。
僕の弟が堀田君を誘いに行ったからこんなことが起こったので、僕は実に申し訳がない。
それでこの件については、あくまで尽力するつもりだから、どうか悪しからず、などと半分謝罪的な言葉を並べている。
はい。
坊っちゃんと山嵐が注意の焦点、これ漢字がちょっと違いますけど、注目の的になっている、みんなに注目されている中で、
赤シャツがいつも通り普通にそばに来て、どうも飛んだ災難でした、大変でしたねと言いました。
で、新聞に色々書かれてたけど、これは校長とも相談をして正誤を申し込む。
ま、間違っているところは直してくださいという風に頼むことにしたから、心配しないでくださいねと。
そして、そうですね、赤シャツの弟がそもそも山嵐の家に来て「先生喧嘩です!来てください!」って言って誘ったので、こんな騒動になったんですよね。
なので、ごめんなさいと、申し訳ないと、謝っています。
校長は3時間目に校長室から出てきて、困ったことを新聞が書き出しましたね。
難しくならなければいいが、と多少心配そうに見えた。
俺には心配なんかない。
先で免職をするなら、免職される前に辞表を出してしまうだけだ。
免職するっていうのは、仕事を辞めさせるってことですね。
辞めさせられてしまうぐらいだったら、その前に辞表を出す。
こちらから、自分から「辞めます」と言ってしまえばいいって坊っちゃんは言ってます。
しかし、自分が悪くないのに、こっちから身を引くのは、ほら吹きの新聞屋をますます増長させるわけだから、
新聞屋を正誤させて俺が意地にも勤めるのが順当だと考えた。
なるほど、坊っちゃんが悪いわけじゃないのに自分が辞職するというのは、嘘つきの新聞屋をいい気にさせてしまう。
もっともっとそういう嘘の記事を書くようになってしまうから、新聞屋に、新聞社にちゃんと間違いを正させて、
意地でもこのまま先生を続けるのが正しいと考えた。
帰りがけに新聞社に談判に行こうと思ったが、学校から取り消しの手続きはしたと言うから、止めた。
はい、坊っちゃん、自分で直接新聞社に文句を言いに行こうとしたけど、止めました。
俺と山嵐は校長と教頭に時間の合間を見計らって嘘のないところを一応説明した。
校長と教頭は、そうだろう。
新聞屋が学校に恨みを抱いて、あんな記事をことさらに掲げたんだろうと論断した。
えっと、論断するは、話し合いをして決断を下す、結論を出すという意味だそうです。
意外にも校長と教頭は坊っちゃんたちのことを信じてくれているんですね。
赤シャツは俺らの行為を弁解しながら、控え場を1人ごとに回って歩いていた。
弁解するは、言い訳をするみたいな感じですね。こうこうこういう理由があったから仕方がなかったんですよとか、
こうこうこういう理由だったから悪くないんですよっていう風に説明をするっていうことです。
だからあれですかね、先生たちに一人一人に説明をしていったんですね。
ことに自分の弟が山嵐を誘い出したのを、自分の過失であるかのごとく吹聴していた。
ま、自分が悪いかのように、みんなに言って回った。
みんなは、全く新聞屋が悪い。
けしからん。
けしからんは悪いっていう意味ですね。
両君、山嵐と坊っちゃんは、実に災難だと言った。
災難だったねって言うと、二人は悪くないのに、被害にあったような時に「災難だったね」って言います。
帰りがけに山嵐は、君、赤シャツは臭いぜ。
この臭いは本当に臭いって言ってるんじゃなくて、ちょっとなんか怪しいっていうことですね。
用心しないとやられるぜ。
気をつけないと、と注意した。
どうせ臭いんだ。
今日から臭くなったんじゃなかろうと言うと、君、まだ気が付かないか。
昨日、わざわざ僕らを誘い出して喧嘩の中へ巻き込んだのは、策だぜと教えてくれた。
山嵐曰く、赤シャツが弟に言って、山嵐と坊っちゃんを喧嘩に巻き込んだってことですね。そういう作戦だ。
赤シャツが考えた作戦だと山嵐は疑っています。
なるほど、そこまでは気が付かなかった。
山嵐は粗暴なようだが、乱暴なようだが、俺より知恵のある男だと感心した。
ああやって喧嘩をさせておいて、すぐ後から新聞屋へ手を回して、こう裏でね、新聞屋に伝えて、あんな記事を書かせたんだ。
実に奸物だ。
悪者だ。
悪いやつだ。
新聞までも赤シャツか。
そいつは驚いた。
しかし新聞が赤シャツの言うことをそう容易く、簡単に聞くかね?
聞かなくって。
新聞屋に友達がいりゃわけはないさ。
友達がいるのかい?
いなくてもわけないさ。
嘘をついて事実これこれだと話しゃすぐ書くさ。
はい、山嵐がここで「わけない」というのを2回使ってますけど、これは、簡単だ、問題ない、難しくないっていう意味でここでは使われています。
だから、新聞屋に友達がいるか、友達がいないとしても、そんな嘘の記事を書いてもらうなんて簡単だよと言っています。
ひどいもんだな。
本当に赤シャツの策なら僕らはこの事件で免職になるかもしれないね。
悪くするとやられるかもしれない。
うん、最悪の場合辞めさせられてしまうかもしれない。首になるかもしれない。
そんなら俺は明日辞表を出してすぐ東京へ帰っちまわ。
こんな下等なところに頼んだっているのは嫌だ。
君が辞表を出したって赤シャツは困らない。
それもそうだな。
どうしたら困るだろう。
どうにかして赤シャツを困らせたいですね。赤シャツに仕返しをしたいです。
あんな奸物のやることは何でも、証拠の上がらないように上がらないようにと工夫するんだから、反駁するのは難しいね。
赤シャツは何でも証拠が残らないように、自分がやったっていう証拠が残らないように工夫をして悪いことをするから、反論するのは難しいね。
厄介だな。
困ったな。
それじゃあ濡れ衣を着るんだね。
面白くもない。
天道是耶非かだ。
濡れ衣を着るっていうのは、本当は自分は悪くないのに罪をかぶせられるっていうことですね。
天道是耶非か。
これは、えっと、史記という昔のお話に出てくる表現だそうで、善人、いい人が苦しんで、悪人、悪い人が自分の思うままに、好きなようにする。
そういうお話があるんだそうです。そのことを言っています。
ま、つまり自分たち善人が学校辞めさせられて、それを仕組んだ悪人、赤シャツの思うままになる。
ま、悔しいということですね。
面白くもない。
悔しい。
まあ、もう2、3日様子を見ようじゃないか。
それでいよいよとなったら、湯の町でとって押さえるより仕方がないだろう。
いよいよとなったらっていうのは、もうどうしようもない、他に方法がないってなったら、
例のね、湯の町で赤シャツが女の人と密会している、会っているっていう、話が前回ありましたね。
だから、そこで張り込んで現場をを押さえよう。
ま、そういう話を坊っちゃんと山嵐が前回してました。
だからその方法をとるしかないだろう。
喧嘩事件は喧嘩事件としてか。
そうさ。こっちはこっちで向こうの急所をおさえるのさ。
急所っていうのは、攻撃されるとすごくダメージが大きい部分みたいな意味ですね。
だから、芸者遊びをしている現場を見られる。
その証拠を掴まれるっていうのは、赤シャツにとってはすごくダメージの大きいこと。
だからそれが赤シャツにとっての急所なんですね。
それもよかろう。
俺は策略は下手なんだから、万事よろしく頼む。
いざとなれば何でもする。
これは坊っちゃんが言ってますね。
色々作戦を立ててやるのは苦手だから、よろしくねと言っています。
俺と山嵐はこれで別れた。
赤シャツが果たして山嵐の推察通りをやったのなら、実にひどいやつだ。
赤シャツがもし本当にさっき山嵐が推察した通り、弟に坊っちゃんたちを喧嘩に誘わせて、
新聞社に話をして...っていうことをやったんだとしたら、実にひどいやつだ。
到底知恵比べで勝てるやつではない。
賢さでは勝てない。
どうしても腕力でなくちゃダメだ。
力で勝つしかない。
なるほど世界に戦争は絶えないわけだ。
個人でもとどの詰まりは腕力だ。
とどの詰まりっていうのは、「結局は」という意味です。
だから、あの、まぁ国と国の戦争だけじゃなくて、個人同士の間でも、結局は腕力、力の勝負だ。
明くる日、新聞の来るのを待ちかねて開いてみると、正誤どころか取り消しも見えない。
学校へ行って狸、校長先生ですね、に催促すると、明日ぐらい出すでしょうという。
はい、坊っちゃんたちの喧嘩の記事、間違ってるところを正してくれるように学校が新聞社に頼んだという風に聞いていたのに、全然直っていません。
訂正の文章が新聞に載っていません。
明日になって六号活字で小さく取り消しが出た。
多分これは字の大きさのことを言ってるんでしょうね。小さい字で取り消しが出ていたと。
しかし、新聞屋の方で正誤は無論しておらない。
また校長に談判すると、あれより手続きのしようはないのだという答えだ。
校長なんて狸のような顔をして嫌にフロック張っているが、存外無勢力なものだ。
フロックはフロックコートのことだそうで、男性が着る礼服、きちんとしたスーツのような服を指しているそうです。
フロックなんて着てるけど、力はないんだなと。
虚偽の、嘘の記事を掲げた田舎新聞1つ謝らせることができない。
あんまり腹が立ったから、それじゃあ私が一人で行って主筆に談判すると言ったら、それはいかん。
君が談判すれば、また悪口を書かれるばかりだ。
主筆は、おそらくその記事を書いた人のことですね。
(主筆)に直接自分が言いに行くと坊っちゃんが言ったら、そんなことしたら余計に悪口を書かれてしまうよと言って止めています。
つまり、新聞屋に書かれたことは嘘にせよ、本当にせよ、つまりどうすることもできないものだ。
諦めるより他に仕方がないと、坊主の説教じみた説諭を加えた。
新聞がそんなものなら、1日も早くぶっ潰してしまった方が我々の利益だろう。
そんな嘘ばっかり書くんだったら、新聞なんてなくしてしまった方が、私たちにとって利益、プラスになるだろう。
新聞に書かれるのとすっぽんに食いつかれるとが似たり寄ったりだとは、今日、只今狸の説明によって初めて承知仕った。
すっぽんっていうのは、亀みたいな、こう手に、こう噛みついたら離れない生き物。
亀ですよね。
すっぽん。
だから一度悪いことを書かれたら訂正してもらえない、取り消してもらえない新聞を、一度噛みついたら離れないすっぽんに例えています。
承知仕った。
すごくかしこまった言い方ですが、分かったということです。
それから3日ばかりして、ある日の午後、山嵐が憤然とやってきて、いよいよ時期が来た。
俺は例の計画を断行するつもりだと言うから、そうか、それじゃあ俺もやろうと即座に一味徒党に加盟した。
あの例のね、芸者遊びを赤シャツがしている現場を押さえるという計画を、山嵐が実行すると言うから、仲間に加わった。
すぐに仲間に加わった。
ところが山嵐が、君はよす方がよかろうと首を傾けた。
なぜ?と聞くと、君は校長に呼ばれて辞表を出せと言われたかと尋ねるから、いや、言われない。
君は?と聞き返すと、今日、校長室で誠に気の毒だけれども、本当に悪いけれども、事情やむをえんから処決してくれと言われたとのことだ。
悪いけど、こんな事情だから覚悟を決めてくれと言われた。
山嵐はですね。
坊っちゃんは言われていません。
そんな裁判はないぜ。
裁判、ま、裁判はしてないですけどね。
ま、そりゃないぜってことですね。
狸は大方腹鼓を、お腹の太鼓を叩きすぎて、胃の位置が顛倒したんだ。
胃がひっくり返ったんだ。
君と俺は一緒に祝勝会へ出てさ、一緒に高知のピカピカ踊りを見てさ、一緒に喧嘩を止めに入ったんじゃないか。
辞表を出せと言うなら、公平に両方へ出せと言うがいい。
なんで田舎の学校はそう理屈が分からないんだろう。
じれったいな。
ね、じれったい、イライラする。
坊っちゃんはとても真っすぐな性格ですから、こういう曲がったことが大嫌いですね。
不公平なことが大嫌いですね。
だから怒っています。どうして山嵐にだけ辞表を出せって言うんだと。
それが赤シャツの指金だよ。
つまり赤シャツの作戦、赤シャツが裏で狸を操ってそうさせてるんだよ。
俺と赤シャツとは今までの行懸り上、到底両立しない人間だが、君の方は今の通り置いても害にならないと思ってるんだ。
ま、赤シャツと山嵐は今までのいろんなことがあって、両立しない人間。だから2人一緒にはやっていけない。
それぐらい対立しているってことですね。
でも赤シャツはきっと、坊っちゃんはまぁ、いても害にはならない。
別にいても、別に悪くはないっていう風に思ってるんだ。
俺だって赤シャツと両立するものか。
害にならないと思うなんて生意気だ。
あの、害にならない、坊っちゃんはいても別に害にならないって思われるのは、坊っちゃんにとってはプライドが傷つくんですね。
馬鹿にするな。
君はあまり単純すぎるから、置いたってどうでもごまかされると考えてるのさ。
なお悪いや。
余計に悪い。
誰が両立してやるものか。
坊っちゃん腹を立ててます。
それに先立って古賀が去ってから、まだ後任が事故のために到着しないだろう。
その上に君と僕を同時に追い出しちゃ、生徒の時間に空きができて授業に差し支えるからな。
そうでしたね。古賀先生がいなくなって、まだ後任の先生が来ていません。
坊っちゃんと山嵐は2人とも数学の先生なので、2人とも同時に追い出しちゃったら、数学の授業を担当する先生が足りなくなって、
授業に差し支える、授業がうまく回らなくなってしまうということですね。
だから山嵐は自分だけを追い出して、坊っちゃんは残すつもりなんじゃないかと、推測しています。
それじゃ俺を間のくさびに一席伺わせる気なんだな。こん畜生、誰がその手に乗るものか。
間のくさびに一席伺わせる。
これは、えっと、2人の間に入って時間つなぎをする。
落語で使われる言葉なんだそうですけど、2人の落語家の出番の間で、ちょっと喋ってこの時間をつなぐ。
そういうことを「間のくさびに一席伺わせる」と言うらしいです。落語の世界で。
だから坊っちゃんをそんな風に、うらなり先生と後任の先生が来るまでのこの間をつなぐ役割をさせるんだな。こん畜生。
馬鹿にするなっていう感じで怒ってますね。
明くる日俺は学校へ出て、校長室へ入って談判を始めた。
何で私に辞表を出せと言わないんですか。
へえ?と、
狸はあっけに取られている。
びっくりしています。
堀田には出せ、私には出さないでいいという法がありますか。
それは学校の方の都合で。
その都合が間違ってまさあ。
私が出さなくて済むなら、堀田だって出す必要はないでしょう。
その辺は説明ができかねますが、堀田くんは去られてもやむを得んのですが、あなたは辞表をお出しになる必要を認めませんから。
ま、はっきりとは説明はしませんが、ちょっと学校の都合で、山嵐には辞めてほしい、辞めても仕方ないと思ってる。
でも坊っちゃんは辞める必要はないと言っていますね。
なるほど、狸だ。
要領を得ないことばかり並べて、はっきりしない、よくわからないことばっかり言って、しかも落ち着き払っている。
落ち着き払うというのは、全然焦る様子がない。
落ち着いているということですね。
俺はしようがないから、しょうがないから、それじゃ私も辞表を出しましょう。
堀田くん1人辞職させて私が安閑として留まっていられると思っていらっしゃるかもしれないが、私にはそんな不人情なことはできません。
安閑は、のんびりとという意味です。
はい、坊っちゃんは情がありますから、情の厚い男ですから、堀田先生1人辞めさせるなんてことはできませんと言っています。
それは困る。
堀田も去りあなたも去ったら、学校の数学の授業がまるでできなくなってしまうから。
できなくなっても私の知ったことじゃありません。
私には関係ありません。
君、そうわがままを言うものじゃない。
少しは学校の事情も察してくれなくっちゃ困る。
それに、来てからひと月経つか経たないのに辞職したというと、君の将来の履歴に関係するから、その辺も少しは考えたらいいでしょう。
まだひと月ぐらいしか経ってないんですね。1ヶ月ぐらいしか経ってないんですね、坊っちゃん。
なんかいろんな事件が起きたので、もっと長く、1年ぐらいもうこの学校にいるような気がしてたんですけど、まだ1ヶ月ぐらいしか経たないんですね。
履歴なんか構うもんですか。
仕事、これまでどんな仕事をしてきたかとか、どんな学校を卒業したか、どんな勉強をしたかとか、
どんな会社でどんな仕事をしてきたかっていうのを書く紙を履歴書って言いますね。
就職活動をする時に出すあの紙、履歴書って言いますね。
それに関わるから、1ヶ月も経たないのに前の仕事辞めましたって言うと、あんまり印象が良くないですよね。
だから考えた方がいいんじゃないですかって校長先生に言われたけど、そんなの関係ない。
それよりも義理、山嵐と坊っちゃんの間のこの義理、信頼関係の方が大切です。
そりゃあごもっとも。
おっしゃる通りです。
君の言うところはいちいちごもっともだが、私の言う方も少しは察してください。
こっちの状況も考えてくださいよ。
君がぜひ辞職するというなら、辞職されてもいいから、代わりのあるまで、代わりの先生が来るまでどうかやってもらいたい。
とにかく家でもう一遍、考え直してみてください。
考え直すって直しようのない明々白々たる理由だが、狸が青くなったり、赤くなったりしてかわいそうになったから、ひとまず考え直すこととして引き下がった。
明々白々たる。
明白な、はっきりとしたっていうことですね。もう考え直す必要なんてないって分かりきってるけど。
狸が青くなるっていうのは、血が引いて、はーってなって青くなったり、興奮して赤くなったりして、かわいそうだなと思ったから
「あ、分かりました。考え直します。」っていうことで、引き下がった。
赤シャツには口もきかなかった。
どうせやっつけるなら、かためてうんとやっつける方がいい。
山嵐に狸と談判した模様を話したら、大方そんなことだろうと思った。
辞表のことはいざとなるまでそのままにしておいても差し支えあるまいとの話だったから、山嵐の言う通りにした。
どうも山嵐の方が俺よりも利口らしいから、頭がいいらしいから、万事、全て山嵐の忠告に従うことにした。
山嵐のアドバイスに従うことにした。
山嵐はいよいよ辞表を出して、職員一同に告別の挨拶をして浜の港屋まで下がったが。
告別の挨拶はお別れの挨拶のことですね。
はい、えっと、お葬式、亡くなった時のお葬式のことをを告別式って言ったりもします。
人に知れないように引き返して、戻って、湯の町の桝屋の表二階へ潜んで障子へ穴を開けて覗き出した。
これを知ってるものは俺ばかりだろう。俺だけだろう。
赤シャツが忍んでくればどうせ夜だ。
しかも宵の口は生徒やその他の目があるから、少なくとも9時過ぎに決まってる。
宵の口。
宵というのは夜のことで、宵の口って言うと、夜の入り口のところですから、日が暮れて来たばかりの頃ですね。だからまだ真っ暗ではない。
その頃だと周りの目があるから、先生としては芸者と密会することができない。
みんなに見られてしまうから、多分暗くなった後の9時過ぎに決まってる。
最初の二晩は俺も11時頃まで張り番、見張りをしたが、赤シャツの影も見えない。
3日目には9時から10時半まで覗いたが、やはりダメだ。
ダメを踏んで夜中に下宿へ帰るほど、馬鹿げたことはない。
ダメを踏むっていうのは失敗するという意味だそうです。
4、5日すると、うちの婆さんが少々心配を始めて、奥さんのおありるのに夜遊びはおやめたがええぞな、もしと忠告した。
下宿先のお婆さんは、坊っちゃんが結婚して奥さんがいるって勘違いしてるんですね。
本当はいませんよね。
そんな夜遊びとは夜遊びが違う。
こっちのは天に代わって誅戮を加える夜遊びだ。
誅戮は、罪人、罪を犯した人を殺すこと。
だから天に代わって、神様に変わって罰を与えるための夜遊びだ。
とはいうものの、1週間も通って少しも験が見えないと嫌になるもんだ。
験は効果だそうです。1週間も通い続けたのに全然効果がないと、嫌になる。
俺はせっかちな性分だから、熱心になると徹夜でもして仕事をするが、その代わり、何によらず長持ちのした試しがない。
なるほど、熱しやすく冷めやすい性格なんですね。
こう、1回熱が入ると、熱心になると、徹夜してもう夜通し仕事をするぐらい熱中するんだけど、すぐに飽きてしまう。冷めてしまう。
長続きしない。
いかに天誅党でも飽きることに変わりはない。
天誅を下すっていうと、天、神様が悪いことをした人に罰を与えることをね、天誅を下すっていうんだそうです。
だからまぁそういう天誅を下す、赤シャツに罰を下す、そんな党、グループを今、結成してるわけですよね、山嵐と一緒に。
いくらそれでも飽きてしまう。
かわいそうに。もし赤シャツがここへ一度来てくれなければ、山嵐は生涯天誅を加えることはできないのである。
赤シャツに罰を与えることができない。
8日目には7時頃から下宿を出て、まずゆるりと湯に入って、それから町で鶏卵を8つ買った。
これは下宿の婆さんの芋責めに応ずる策である。
芋ばっかりね、食べさせられてますから、それに対抗するために卵をいっぱい買いました。
その卵を4つずつ左右の袂へ入れて、例の赤手拭いを肩へ乗せて懐手をしながら、手を懐に入れながら、
桝屋の梯子段を登って山嵐の座敷の障子を開けると、「おい、有望有望」と韋駄天のような顔は急に活気を呈した。
「有望有望」は、望みがあるぞということですね。
来るかもしれない。
韋駄天は、神様の一人だそうです。
韋駄天みたいな顔は急に活気を呈した。
活気を見せた。
夕べまでは少し塞ぎの気味で、塞ぎ気味。
ちょっとこう、ネガティブになってる感じで、はたで見ている俺さえ陰気臭い。
なんかネガティブな感じで嫌だなと思ったくらいだが、この顔色を見たら俺も急に嬉しくなって、何も聞かない先から「愉快愉快」と言った。
今夜7時半頃あの小鈴という芸者が角屋へ入った。
赤シャツと一緒か?
いいや。
それじゃダメだ。
芸者は二人連れだが、どうも有望らしい。
どうして?
どうしてって、ああいうずるいやつだから。
赤シャツのことですね。
ずるいやつだから、芸者を先へよこして後から忍んでくるかもしれない。
二人で一緒に入るところを見られてしまったらいけないから、芸者だけ先に入らせて、自分は後からこっそり入ってくる気かもしれない。
そうかもしれない。
もう9時だろう。
今9時12分ばかりだ。
と、帯の間からニッケル製の時計を出して見ながら言ったが、おい、ランプを消せ。
障子へ2つ坊主頭が映ってはおかしい。
外は暗いので、部屋の中、ランプをつけていると、障子に2人の頭の影が映るんですね。
キツネはすぐ疑るから。
キツネは赤シャツのことを指してますね。
キツネってちょっとなんかずる賢い、そんなイメージがあります。
すぐ疑うから。
俺は一貫張の机の上にあった置きランプをふっと吹き消した。星明かりで、障子だけは少々明るい。
月はまだ出ていない。
俺と山嵐は一生懸命に障子へ顔をつけて息を凝らしている。
チーンと9時半の柱時計が鳴った。
おい、来るだろうかな。
今夜来なければ僕はもう嫌だぜ。
俺は銭の続く限りやるんだ。
銭っていくらあるんだい?
今日までで8日分5円60銭払った。
いつ飛び出しても都合のいいように毎晩勘定するんだ。
それは手回しがいい。
宿屋で驚いてるだろう。
宿屋はいいが、気が離せないから困る。
その代わり昼寝をするだろう。
昼寝はするが、外出ができないんで窮屈でたまらない。
そっか、えっと、ここに山嵐が潜んでいることは誰も知らないので、外出して人に見られたら困るんですね。
天誅も骨が折れるな。
骨が折れる、大変だな。
これで天網恢々疎にして漏らしちまったり何かしちゃつまらないぜ。
ちょっとまた分からない言葉が出てきました。
これは昔々の中国の老師という人の言葉で、悪いことをすると、必ず捕まって罰が与えられるということだそうです。
何、今夜はきっと来るよ。
おい、見ろ見ろ、と小声になったから、俺は思わずドキリとした。
黒い帽子を戴いた男が。
戴いた、ま、被ってるってことですかね。
角屋の、これ、何て読むんでしたっけ?
ガス灯でした。
ガス灯を下から見上げたまま、暗い方へ通り過ぎた。
違っている。
おやおやと思った。
赤シャツじゃなかったみたいです。
そのうち帳場の時計が遠慮なく10時を打った。
今夜もとうとうダメらしい。
世間はだいぶ静かになった。
もう夜10時ですから静かです。
遊郭で鳴らす太鼓が手に取るように聞こえる。
月が温の山の後ろからのっと顔を出した。
往来は明るい。
ま、昔ですし、田舎でそんなに建物もないでしょうから、月が出てくるだけで、山からね、月が出てくるだけで、あたりがだいぶ明るくなるんでしょうね。
すると、下の方から人声が聞こえ出した。
窓から首を出すわけにはいかないから、姿を突き止めることはできないが、だんだん近づいてくる模様だ。
姿は分からないけど、はっきりとはわからないけど、誰かが近づいてきます。
カランカランと駒下駄を引きずる音がする。
目を斜めにすると、やっと二人の影帽子が見えるくらいに近づいた。
もう大丈夫ですね。
邪魔者は追い払ったから。
まさしく野田の声である。
強がるばかりで策がないからしょうがない。
これは赤シャツだ。
あの男もべらんめえに似ていますね。
あのべらんめえと来たら勇み肌の坊っちゃんだから、愛嬌がありますよ。
べらんめえは、バカというような意味ですね。
野田と赤シャツが坊っちゃんたちの噂話をしてますね。
増給が嫌だの、辞表を出したいのって、あれはどうしても神経に異常があるに違いない。
相違ない。
頭がおかしいって言ってるんですね。
俺は窓を開けて二階から飛び降りて、思うようぶちのめしてやろうと思ったが、やっとのことで辛抱した。
我慢した。
もう坊っちゃんは、カッとなって、外に出ていって、ぶちのめしてやろうって思ったけど、ぐっと我慢しました。
二人は「はははは」と笑いながらガス灯の下をくぐって角屋の中へ入った。
おい、来たぜ。
とうとう来た。
これでようやく安心した。
野田の畜生、俺のことを勇み肌の坊っちゃんだと抜かしやがった。
抜かすというのは言うってことですね。
邪魔ものというのは俺のことだぜ。
失敬千万な。
失礼なやつだ。
俺と山嵐は二人の帰路を要撃しなければならない。
帰路は、帰る道ですね。
二人が帰るところを待ち伏せて攻撃しなければいけない。
しかし二人はいつ出てくるか見当がつかない。
いつ出てくるか全く分からない。
山嵐は下へ行って、今夜ことによると夜中に用事があって出るかもしれないから、出られるようにしておいてくれと頼んできた。
今、二人が潜んでいる宿屋の人にお願いしたんですね。
今思うと、よく宿のものが承知したものだ。
大抵なら泥棒と間違えられるところだ。
赤シャツの来るのを待ち受けたのは辛かったが、出てくるのをじっとして待ってるのはなお辛い。
寝るわけにはいかないし始終、ずっと障子の隙から睨めているのも辛いし、どうもこうも心が落ち着かなくって、これほど難儀な思いをしたことは未だにない。
難儀は、大変なということですね。
いっそのこと角屋へ踏み込んで現場を取って抑えようと発議したが、提案したが、山嵐は一言にして俺の申し出を退けた。
ダメだ。
却下した。
自分共が今時分飛び込んだって、乱暴者だと言って途中で遮られる。
訳を話して面会を求めればいないと逃げるか、別室へ案内をする。
不用意のところへ踏み込めると仮定したところで、何十とある座敷のどこにいるかわかるものではない。
退屈でも出るのを待つより他に策はないというから、ようやくのことで、とうとう朝の5時まで我慢した。
すごいですね。
徹夜ですね。
だから色々ね、飛び込んでいっても、話がしたいって言っても、逃げられてしまったり止められてしまったりするから、
待つしかないというので、朝の5時まで我慢して待ちました。
角屋から出る二人の影を見るや否や、俺と山嵐はすぐ後をつけた。
一番汽車はまだないから、二人とも城下まで歩かなければならない。
湯の町を外れると、一丁ばかりの杉並木があって、左右は田んぼになる。
それを通り越すと、ここかしこにわら葺きがあって、畑の中を一筋に城下まで通る土手へ出る。
土手は、川の横に土が積まれたところですね。
ずっとつけていきました。
町さえ外れれば、どこで追いついても構わないが、なるべくなら人気のない、人がいない杉並木で連まえてやろうと見え隠れについてきた。
街を外れると急に駆け足の姿勢で颯のように後ろから追いついた。
人が多いところで捕まえようとすると、逃げられてしまう危険性があるので、人がいないところで捕まえようと、ずっとついていきます。
ね、街を外れたので、街、賑わった街からちょっと出たので、急いで後ろから駆けていって追いつきました。
何が来たかと驚いて振り向くやつを、待てと言って肩に手をかけた。
野田は狼狽の気味で、慌てた様子で逃げ出そうという景色、様子だったから、俺が前へ回って行く手を塞いでしまった。
教頭の職を持ってるものがなんで角屋へ行って泊まった、と山嵐はすぐなじりかけた。
なじるは、相手の悪いところを言って非難することですね。
教頭は角屋へ泊まって悪いという規則はありますか、と赤シャツは依然として丁寧な言葉を使って、顔の色は少々青い。
ちょっと青ざめている。
どうしよう、どうしようという感じなんでしょうか。
取締上不都合だから、蕎麦屋や団子屋へさえ入ってはいかんというくらい謹直な、真面目な人が、なぜ芸者と一緒に宿屋へ泊まり込んだ。
野田は隙を見ては逃げ出そうとするから、俺はすぐ前に立ちふさがって「べらんめえの坊っちゃんとは何だ?」と怒鳴りつけたら、
いえ、君のことを言ったんじゃないんです。
全くないんです、と鉄面皮に言い訳がましいことを抜かした。
これは、顔の皮が鉄でできたように厚かましいこと、という意味だそうです。
俺はこの時、気が付いてみたら、両手で自分の袂を握ってる。
追っかける時に袂の中の卵がぶらぶらして困るから、両手で握りながら来たのである。
卵を入れてましたね。
そうでした。
俺はいきなり袂へ手を入れて卵を2つ取り出して、やっ!と言いながら野田の面へ叩きつけた。
卵がぐちゃっと割れて、鼻の先から黄身がだらだら流れ出した。
野田はよっぽど仰天した、驚いたと見えて、「わあ」と言いながら尻もちをついて。
こう後ろに倒れてお尻をつくことですね。
尻もちをついて、助けてくれと言った。
俺は食うために卵は買ったが、ぶつけるために袂へ入れてるわけではない。
ただ、癇癪のあまりに、イライラして、ついぶつけるともなしにぶつけてしまったのだ。
ついついぶつけちゃった。
しかし、野田が尻餅をついたところを見て初めて俺の成功したことに気が付いたから、こん畜生、こん畜生と言いながら、
残る6つを無茶苦茶に叩きつけたら、野田は顔中黄色になった。
俺が卵を叩きつけているうち、山嵐と赤シャツはまだ談判最中である。
話し合いをしています。
芸者を連れて、僕が宿屋へ泊まったという証拠がありますか。
しらばっくれてますね、赤シャツ。
宵に貴様の馴染みの芸者が角屋へ入ったのを見て言うことだ。
ごまかせるものか。
ごまかす必要はない。
僕は吉川君と二人で泊まったのである。
吉川君は野田ですね。
芸者が宵に入ろうが入るまいが、僕の知ったことではない。
黙れと山嵐はげんこつを食わした。
赤シャツはよろよろしたが、これは乱暴だ。
狼藉である。
理非を弁じないで腕力に訴えるのは無法だ。
狼藉、ま、乱暴みたいなことですかね。
ま、言葉でね、話し合いするんじゃなくて、暴力で解決しようとするのはルール違反だ。
無法でたくさんだ、とまたポカリと殴る。
貴様のような奸物は、殴らなくっちゃ応えないんだ、とポカポカ殴る。
俺も同時に野田を散々に叩きすえた。
しまいには、最終的には、二人とも杉の根方にうずくまって動けないのか、目がチラチラするのか、逃げようともしない。
これ木ですね。
木の根っこのところにうずくまって、動かない。
もうたくさんか。
たくさんでなければ、まだ殴ってやる。
もうたくさんっていうのは、もう十分。
もう分かりました。降参しますってことですね。
と、ポカンポカンと二人で殴ったら、もうたくさんだ。
もういいです、と言った。
野田に、貴様もたくさんかと聞いたら、無論たくさんだと答えた。
貴様らは奸物だからこうやって天誅を加えるんだ。
これに懲りて、反省して、以来、これからは慎むがいい。
こういうことはやめなさい。
いくら言葉巧みに弁解が立っても正義は許さんぞ、と山嵐が言ったら、二人とも黙っていた。
ことによると、口を聞くのが大義なのかもしれない。
大義、最初の方でも出てきましたね。
もう口も聞けないぐらいにきつい。
俺は逃げも隠れもせん。
今夜5時までは浜の港屋にいる。
用があるなら巡査なり何なりよこせ。
警察ですね。
と山嵐が言うから、俺も、俺も逃げも隠れもしないぞ。
堀田と同じところに待ってるから、警察へ訴えたければ勝手に訴えろと言って、二人してすたすた歩き出した。
俺が下宿へ帰ったのは7時少し前である。
部屋へ入ると、すぐ荷造りを始めたら、婆さんが驚いて、どうおしるのぞなもしと聞いた。
どうしたんですか?ってことですかね。
お婆さん、東京へ行って奥さんを連れてくるんだ、と答えて勘定を済まして、お金を払って、すぐ汽車へ乗って浜へ来て港屋へ着くと、山嵐は二階で寝ていた。
俺は早速辞表を書こうと思ったが、何と書いていいか分からないから、
「私儀都合有之辞職の上東京へ帰り申候につき左様御承知被下度候以上」と書いて、校長宛に郵便で出した。
ま、すごくあの昔の言葉で書いてありますけど、今の言葉に直すと簡単に言ったら、
一身上の都合で、自分の個人的な事情で東京に帰るので、辞職しますから、よろしくお願いしますみたいな感じでしょうね。
汽船は夜6時の出帆である。
夜6時に船が出ます。
山嵐も俺も疲れてグーグー寝込んで、目が覚めたら午後2時であった。
下女に巡査は来ないかと聞いたら、参りませんと答えた。
赤シャツも野田も訴えなかったなあと、二人は大きに笑った。
その夜、俺と山嵐はこの不浄な地を離れた。
ま、不浄、汚れた、けがれた、良くない意味の言葉ですね。
不浄な地を離れた。
船が岸をさればさるほどいい心持がした。
山嵐とはすぐ別れたぎり、今日まで会う機会がない。
清のことを話すのを忘れていた。
俺が東京へ着いて下宿へも行かず、かばんを下げたまま、清や帰ったよと飛び込んだら、
あら坊っちゃん、よくまあ、早く帰ってきてくださったと、涙をポタポタと落とした。
坊っちゃんは東京に戻って一番に清に会いに行きました。
俺もあまり嬉しかったから、もう田舎へは行かない、東京で清と家を持つんだと言った。
その後、ある人の周旋で、街鉄の技手になった。
ま、ある人に紹介してもらって、街鉄、これは、鉄道会社のことだそうです。
はい、ある鉄道会社の技手、技術関係の仕事をする人、技術者になった。
月給は25円で、家賃は6円だ。
清は玄関付きの家でなくっても、至極満足の様子であったが、大変満足の様子であったが、気の毒なことに、今年の2月、肺炎にかかって、肺の病気ですね。
肺炎にかかって死んでしまった。
死ぬ前日、俺を呼んで、坊っちゃん後生だから。
後世は、お願いだからというような意味だそうです。
お願いだから、清が死んだら坊っちゃんのお寺へ埋めてください。
これは清の遺言ですね。
亡くなる前のお願い、遺言ですね。
坊っちゃんのお寺へ埋めてください。
お墓の中で坊っちゃんの来るのを楽しみに待っております、と言った。
えっと、仏教のお墓はお寺にあって、で、お墓というのは先祖代々のお墓があるんですよね。家族みんな同じ、亡くなったら同じお墓に入ります。
普通は。
なので、坊っちゃんの、その、家族のお墓に入れてください。
そこで坊っちゃんを待ってます。
と言って、清は亡くなりました。
だから清の墓は小日向の養源寺にある。
明治39年4月。
はい、坊っちゃん、ようやく完結しました。
皆さん、いかがでしたか?
第1章からここまで一緒に読んでくださった方は、是非感想を教えてください。
では坊っちゃんシリーズは、今日で終わりです。
ありがとうございました。
Aozora Bunko: https://www.aozora.gr.jp/ Botchan: https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/752_14964.html